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10年後の広告はどうなっているか(5)

水曜日, 5月 27th, 2009

テレビ出現以前に、加工食品などの低関心商品の広告がどうであったか、振り返ってみませんか。主婦向けの雑誌などにちょいちょい広告が出ることがあったり、食料品店の店頭に味の素のホーロー看板がぶら下がっていたりしても、一つの商品の知名度が短期的に上がるようなことはありませんでした。

 

日清サラダ油の商品名は、大正時代に「サラダに使えるほど精製度の高い高品質の食用油」をシンボライズする名前として現在の日清オイリオによって採用され、およそ100年間倦まずたゆまず使われることで、市場シェアナンバーワンの地位を獲得する一助となったのです。テレビスポットを2万GRP投入することで、1年間でそうなったのではありません。

 

歴史的に見て加工食品のライフサイクルは長いものが多く、お酒や味噌、醤油の醸造元が「嘉永元年創業」などと謳っているのはその証拠です。お菓子の銘柄でも、江戸時代の殿様が愛用された、といった曰くつきのものが珍しくありません。

 

このような景色を一変させたのが、テレビとスーパーマーケットという大量販売メカニズムです。今、急にスーパーマーケットが衰退することは考え難いが、同じ形で存続する保証はありません。テレビがすでに衰退の時代に突入していることは誰の眼にも明らかです。

 

何百年のライフサイクルをもつような商品を1年で普及させたり、3年で衰退させたりしたテレビって何だったのか。それは、キャプティブ・オーディエンスの状態を家庭で提供してくれる稀有の媒体であったと同時に、泣いたり、笑ったり、共感したり、高い心理的関与を演出できるとんでもない媒体だったのです。低関心商品すら、心理的関与度の高いCMに乗せて高い関心度、高い知名度をもたらしてくれる魔法の杖だったのです。

 

世の中のものごとは進化するのがふつうですから、テレビよりもっと効率の良い媒体が低関心商品の普及を助けてくれるようになると、誰もが期待するでしょうが、ほんとうにそうなるでしょうか。Before TVDuring TV、そしてこれから到来するAfter TVの時代。どう考えても、After TVの時代は、Before TVに少しばかり近づくことになりはしないでしょうか。

ホトトギス & かつお

水曜日, 5月 20th, 2009

ホトトギスの鳴き声をご存知ですか。テッペンカケタカ?と、素っとん狂で、調子はずれの鳴き声を振りまくヤツです。今年もこやつの季節がやってきました。季節の鳥であるばかりでなく、そのユニークな鳴き声、名前が5文字であることも幸いして、俳句に登場することの多い鳥です。

 

ほととぎす銚子は国のとっぱずれ

 

江戸は日本橋小網町の商人、鈴木金兵衛(俳号古張庵)のこの句に接したとき、「ハハー、5月ごろ銚子で催した句会で、一座の人たちをどっと笑わせるために、ホトトギスを引き合いに出したな」と思ったものです。それじゃまるで川柳か都都逸じゃないか、とね。

 

ところが銚子に滞在してみて驚きました。山国とはほど遠い、ばかりか、海に突き出した銚子に、ホトトギスがやたらに多いのです。姿を見せるわけではないが、どうやら空を突っ切って飛びながら、テッペンカケタカ?と聞いて回っているらしい。声を聞いて、姿を見ようとあわてて飛び出しても、もうそのあたりにはいません。5月16日土曜日、今年初めてのホトトギスを聞きました。

 

目には青葉山ほととぎす初かつお

 

ホトトギスを聞いたら、かつおです。さっそく鮮魚に強いローカルスーパーに行ってみました。居ました。銚子の近くに来たかつおはまだ小ぶりで、お値段も1本1400円ですが、氷水の入った樽に頭を下にぶち込まれて、しっぽだけを出しています。もう少し我慢して、かつおが大型になり、値段が1本500円になるのを土地の人は待っているんですね。そうなったら、私も会社まで氷漬けで持ってきて、みんなでかつおパーティーをやりたいものです。

10年後の広告はどうなっているか(4)

水曜日, 5月 13th, 2009

広告でものを知らせたい、というのは提供する側の一方的な願望であって、受け手の消費者が広告して欲しいと言ったわけではありません。つまり、広告そのものを消費者が渇望したことはない。極端な言い方をすれば、広告は宿り木のようにジャーナリズムに寄生して、メーカー側のニーズを満たしてきたわけです。経済社会全体をうまく循環させる機能をはたしているのですが、基本的な消費者ウォンツ、ニーズが欠如しています。だから、寄生すべきジャーナリズムという木が枯れたときは存立が困難になります。

 

新聞・雑誌にしてもテレビにしても、ジャーナリズムそのものにたいしては消費者ニーズがあります。そして広告は、媒体料をジャーナリズムに供給することによって、寄生した宿主を養う役割も果たしてきたのです。木が弱ってくると、宿り木も弱ってくる。宿り木から栄養補給をしてもらっていた樹木そのものの勢いも衰えてきます。

 

言うまでもなくウェブの特徴は、無料で、かんたんに情報を入手できるところにあります。そしてウェブでは、これまでジャーナリズムが提供してきたエキスパート・オピニオン以外に、素人の集合知を集積・提供することが容易にできるので、参加型の情報の場が作りやすくなります。

 

紙や電波の媒体がウェブに取って代わられるのであれば、広告も新しい媒体に掲載すれば良いだけのことではないのか。確かにその通りですが、見たいコンテンツに乗せて、見たくないものを見せることに終始してきた広告は、新しい情報伝達手段とどう折り合いをつけてゆけば良いのか、急には答えが見つかりそうもありません。

 

ウェブが得意とする情報伝達方式は、検索されるキーワードに連動することで、関心領域を限定することには成功しそうです。しかし、同じ対象者に何回も同じメッセージを届けることにより知名、認知を形成するという、既成のマスコミに乗っかることで可能だったこと、広告の基本的な作用にかかわる部分が、どうすればウェブで出来るのか、少なくとも現在のところ見えてきていないのではないでしょうか。広告主による情報伝達ニーズが高まるにもかかわらず、適切な情報伝達手段が見つからない、という状態がしばらく続きそうです。

峠の御膳ソバ

木曜日, 5月 7th, 2009

知る人ぞ知る、萬屋(まんや)のソバを食べました。利根川河口から10キロ遡ったあたりに、銚子市から旭市に抜ける峠道があります。県道71号。どんどん分け入ると、「道を間違えたかな」と思ったころに猿田神社裏参道の標識。ホッとしてすぐ、ふつうの田舎町のそば屋さんの店構えが見えました。時刻は3時をまわっているのに、かなり大勢の客が入っています。

 

盛りが良い。座敷で天ざるを食べている人のやつを横目で見ると、山盛りの量が尋常ではない。神田あたりで威張っている店の3倍はありましょうか。そして白い。漂白しない天然の粉で打ったうどんぐらいに白いのです。今日は盛りで行くぞ、と決めているので、そう言うと、天盛りはいかがですか、と奨める。今度おなかを空かせて来るからね、と、今回は心動かされることなく(?)、盛りに固執しました。太打ちの御膳そばの食感はなめらか。おソバの稲庭版とでも言ったら、叱られるでしょうか。おそらく本邦ほかに例を見ないだろう独特のソバを、この峠道の奥で供しているのでした。

 

ソバは体に良いと言いますが、その大きな理由の一つは、製粉するときに胚芽を分離できないところにある、と言われます。穀物が提供してくれる微量栄養素のほとんどは、胚芽に含まれていることを思えば、これは納得できます。

 

加工食品は、使用された原材料が多い順にパッケージに記載されていることを知ってから、乾麺のソバを買うときに、気をつけて原材料表示を見るようにしています。ほとんどの商品は、最初に「小麦粉」と書いてあるります。つぎに「ソバ粉」と書いてありますが、何%入っているのか分からない。ソバ粉よりも小麦粉のほうが多いものは、「ソバ粉入りのうどん」と表示すべきではないか、と思ったりします。ソバは健康に良い、と思って食べる人に失礼ではないですか。どうも、話が変な方に行ってしまいました。

サバ

水曜日, 4月 29th, 2009

りっぱなサバが一本198円で選りどり見どり。トングに挟んで氷水から出してみると、ピンと硬直しています。これなら大部分を味噌煮にして、片身をしめサバでいくか、と2本買い求めました。銚子のローカルスーパーでのことです。レジを通ったあと、レシートを見ると「アジ@298円 x2」とある。こともあろうに銚子の人間がサバとアジを間違えるとは世も末じゃ、と文句を言って200円返金してもらいました。レジはアルバイトの若い人だったので、マア、いたし方ないか。

 

この時期のサバは脂ののりがイマイチで、あっさりしています。それも、しめ鯖には悪くなかろうと塩をあて、酢でしめる。ジンマシンになったらどこの病院に行こうかなどと、びくびくしながら賞味すると、なかなかの美味。1時間たっても痒くならないから、これならもっとたくさん作ってサラダにも入れれば良かった、と思ったものでした。

 

銚子は、すし屋さんの言う「光りもの」、背の青い魚が豊富です。背黒いわしなんか、パックに山盛り入って128円で売っていたりします。どうやって食べるんでしょうね。こんど買ってきて酢でしめてみましょうか。もっとも隣のおじさんによれば、「あんなものスーパーで買うより、漁港の桟橋に落ちているのを拾ってきた方が新鮮なんだ。どうせ箒で掃いて海に捨てるんだからね。」とは言うものの、まさかそこまではねぇ。だって、それをねらって上空に群れをなして飛んでいるカモメに悪いでしょ。

10年後の広告はどうなっているか(3)

水曜日, 4月 22nd, 2009

これまで2回のお話に基づいて考えると、こんな世界が広がるのではないか、と思われることを列記してみます。

 

1.   媒体の細分化が進行する、そしてその究極の姿は一人一媒体に近いものである、と言いました。一人一媒体は、媒体が無いのに近い状態で、江戸時代の口コミ社会が再現すると思ってもよいのではないでしょうか。ただし、ウェブが発達した超口コミ社会です。

 

   商品情報の入手にも、口コミが大いに関与するでしょう。あらゆる商品について、購入体験や

使用体験の情報が容易に入手できるでしょう。行ってきました、買ってみました、使ってみまし

た、作ってみました、食べてみました、などのレポートが重視され、商品購入の参考情報とさ

れます。ということは、口コミをトリガーする、フックのある新製品が求められるでしょう。また、

口コミをトリガーするような、商品についての関連情報が珍重されるでしょう。

 

商品やサービスを提供する側が自社のホームページで提供する情報も、いろいろな機能が付加されて高度化しているでしょうし、いわゆるマスコミチャンネル以外から得られる役立ち情報が広告から得られる情報を上回っているかもしれません。

 

2.   新製品発売告知など、当初の情報をプッシュ情報で、できる限りイノベーター、オピニオンリーダーに流し、後は口コミによって、商品情報が拡散してゆくのを助長する、という広告戦略が一般的になるのではないでしょうか。

 

ただし、新発売告知をはじめとして、プッシュ型情報提供が要求される場面は尽きないが、プ

ッシュ型情報を提供することが可能な媒体が、広告主の求めるオピニオンリーダー、イノベー

ター層(言うまでもなく、商品によって層がちがいます)への接触を可能にするかどうか、分か

りません。その意味では、セッツインユースの減少とともに、テレビもある特定の層にアプローチ

するためのセグメント媒体になっている可能性が強い。その傾向は、F2とかF3とか言ってマ

スメディアを自称している側が、現在、自ら作り出している、と言えなくもありません。

 

3.   知りたい情報を引き出すことが容易になるので、売る側にとっては脅威です。イメージづくりよ

りも実質的な商品性能の向上に、より多くの企業努力を傾注せざるを得なくなるでしょう。

 

高関心商品について、プッシュ情報の必要性が減少するでしょう。例えば自動車の情報は、

新発売告知を除けば、ほとんどがHPからプル情報で入手するようになるかもしれません。自

動車が多くの人にとって高関心商品であり続けるかどうかは疑問ですが、どんな商品でも、

それの購入を考えている人にとっては高関心商品たり得るのです。

 

4.   スーパーマーケットの店頭媒体など、新しい媒体が地位を確立している

 

食品、日用品など、スーパーマーケットで購入される商品は、現在のマス4媒体の衰退とともに、マーケティング手法の変更を余儀なくされるでしょう。効率的に消費者にアピールする媒体として、スーパーマーケット店頭におけるサイネージが注目されているでしょう。

 

5.   統計上、日本の広告費は減少している。

 

例えば日本最大の広告主、トヨタ自動車が年間広告予算約1000億円の3割程度を」削減する、ということが大いに話題になりました。市場が冷え切っているから広告費を削減する、という経営判断もあったでしょうが、そのほかに外部媒体を通じた広告宣伝を減らして、ホームページ等を通じた商品情報の提供をより充実させようという判断が当然あったのではないでしょうか。

 

いわゆるマス媒体の広告出稿量という意味における、日本の年間広告費は10年後には減少していると思われます。これは必ずしも広告主の情報提供ニーズが減少している、という意味ではなく、情報提供の形に変化がもたらされているということです。

 

6.   現在のような広告代理店のビジネスモデルは存続しない

 

マス媒体が縮小し、多様な形の情報提供が求められるようになっているとすれば、現在のような広告代理店のビジネスモデルは、成立しなくなっていると思われます。媒体扱いから入るコミッションを主な収益の柱にしている形態は、早急に修正しておかないと、立ち行かなくなるおそれがあります。

 

7.   広告主組織も、CIOを中心に構築しなおされる

 

広告部と広報部が企業の情報活動を仕切っている現状も、大きく変わらざるを得ないでしょう。複雑、多様化した情報環境に対応するために、企業は「チーフ・インフォメーション・オフィサー」を情報提供機能の中心となる役員として据え、その周りにIT、広告、広報の各機能部門を配置するようになるでしょう。

10年後の広告はどうなっているか(2)

水曜日, 4月 15th, 2009

そもそもこれまで隆盛を誇ってきたテレビは、人々に何を提供してきたのか。娯楽?暇つぶし?思うに、テレビの最大の役割は、人々に世の中の変化を共有、共感させることではなかったか。だからこそ、時代の寵児として熱狂的に歓迎され、人気を独占してきたのではなかったか。農家のおばあちゃんにも、沖合いに向かって航行している漁船の乗組員にも、いわゆる「社会の窓」を提供してきたのです。

 

その仮説は間違っています、と言われるとお話の展開に困るのですが、ここは、当たらずとも遠からず、としましょう。そこで当然つぎに出てくるのは、その役割はテレビが独占し続けるのでしょうか、という疑問ではないでしょうか。誰が考えたって答えは同じ、インターネットが強力な競争相手として登場していることに疑いの余地がありません。まだ農家のおばあちゃんには普及していないけれども、ウェブ年齢層は上へ上へと拡大中です。さて、このような社会的役割を果たしてゆく仕組みとして、これら新旧二つのエンジンが規模的に逆転するのは何時でしょうね。

 

ここまでは、社会の窓としての役割がテレビからウェブへ、分担割合に変化が生じつつあるというお話です。前回のブログで述べたように、インターネットの拡大は媒体の細分化を伴うということも事実です。細分化の究極の姿は、一人一媒体、つまりすべての人が何らかの形で情報を発信する、という社会です。別にSFの世界ではなく、かなりの程度まで、すでに事態は進展していると考えてよいのではないでしょうか。こうなると、商品やサービスに関する情報のやりとりは、送り手の立場から見るのと、受け手の立場から見るのとではまったく違ってきそうです。媒体の概念自体が変わってしまう、と言って良いでしょう。広告を職業としている人にとって、悪夢のような社会がついそこまで来ているかも知れないぞ、というわけです。

 

このほか、新しく登場したインターネットという情報伝達手段には、テレビになかった恐るべき能力がそなわっています。単に天気予報の放送予定時間にならなくても天気予報を見ることができる、といった類のことではありません。それは情報を蓄積するアーカイブ性と、蓄積されたた情報のうち、好きなものを好きなときに取り出すリトリーバル性です。ここんところが実は明日の広告を語る上で重要なポイントになりそうです。次回は、こういった新時代の媒体の特徴がどう広告に影響するか、たくさんの仮設を提示してみたいと思います。

 

10年後の広告はどうなっているか(1)

木曜日, 4月 9th, 2009

このテーマで書き始めたら、とても一気に書くことができない。時間をかけて考えながら書こう、というわけで、(1)としました。続きは来週になるか、再来週になるか。

 

いま、広告媒体が個性化、細分化、多様化の過程にあることは誰の眼にも明らかです。ウェブ媒体が伸びていますが、ウェブは一つのメジャー媒体でなく、それ自体が細分化の宿命をもっています。ウェブを中心とした細分化はさらに進み、さらにフリーペーパー、店頭媒体、アウトドア・サインボードなどほかの分野の多様化を誘発しながら進んでゆかざるを得ないでしょう。

 

一方で、テレビ、新聞など、メジャー媒体の勢力が低下しています。この低下現象がどこまで続くかが、明日の広告の姿に大きく影響するでしょう。これまでの50年間は、将来の歴史家が「テレビの半世紀」と呼ぶかもしれません。世界中が戦後の復興期で、商品にも、娯楽、情報にも渇望感がありました。そこへ技術的革新の成果として現れたテレビは、まさに時代の寵児となりました。広告媒体としての観点から見ると、消費者があこがれる商品の情報であろうが、低関心商品の情報であろうが、好きな回数だけプッシュ情報として消費者に届けるという前代未聞の広告技術を可能にしたのです。

 

いま、広告に携わっている人々は、多かれ少なかれ、このようなことが可能な環境の中で育ってきました。広告とはこんなものだ思っていたら、とんでもないことになるかも知れません。好きなだけプッシュ情報を流すことが可能でなくなった世界はどんなものか。続きはいずれまた。

旅行ガイドに書いてないウマイモン

木曜日, 4月 2nd, 2009

筆の勢い、というか、キーボードの勢いというか、東北部千葉を中心とする地方の味の好みについて、このあいだケチョンパンにこき卸したので、ウマイモンについても書かないと不公平ではないか。このような思いから、罪滅ぼしのために次に書き留めておきます。

 

<その一>この地方で蕎麦屋さんに入ったら、鴨なんばんを試してみることをお奨めします。千葉は昔から鴨の飛来地として知られています。おそらく利根川や鬼怒川が氾濫してあちこちに沼地を作り、絶好の鴨の餌場を提供していたのでしょう。そう言えば、天皇陛下が外国の賓客をもてなされる宮内庁の鴨場は市川市なので、そこの鴨池が河川の氾濫でできたものかどうか定かでありませんが。

 

さて、鴨なんばんです。温かい蕎麦が甘くていけない、と申しましたが、鴨汁は甘い目がちょうど良い塩梅となります。私は銚子市の島彦という蕎麦屋さんで、鴨なんばんを頼んで驚いきましたね。ふつう、蕎麦の上に鴨肉が三切れも乗っていれば御の字ですが、ここの鴨なんばんは、蕎麦をすすると中からつぎつぎに鴨肉が湧き出してくる。しかも、汁がそばつゆというより、正真正銘の鴨汁になっています。私はこれを最後の一滴まで飲み干して大満足となります。蕎麦屋さんでなくても、この地方にあちこちに見受けられる鴨料理屋さんで、お手軽な鴨料理として鴨なんばんの蕎麦を提供していることが多くて、これはうれしい庶民サービスと言えるでしょう。

 

<その二>甘くてうまいものの二番手は、やはり金目鯛の煮付けでしょうね。伊豆半島の下田港が金目鯛の水揚げ日本一などとイバっていますが、銚子の人に言わせると、こちらはウマさ日本一なんだそうで。たしかに脂の乗り、身のしまり具合は比類のないものです。これをご当地独特の甘い味付けで処理するからたまりません。東京で金目鯛の煮付けといえば、切り身なんですが、当地では腹から開いたままのB4判ぐらいのやつを大きな平鍋で身のほうを下にして煮ます。魚料理屋で食べる場合は、こいつの姿を見ないうちに他の料理をやたらに注文しないことをお奨めします。メインディッシュは一皿を二人で食べてちょうど良い、ということになりかねないからです。

広告媒体の細分化

水曜日, 3月 25th, 2009

マスメディア、またはマスコミという言葉が一世を風靡した時代が、次第に過去のものとなろうとしています。新聞やテレビに代表される巨大メディアがじわじわと衰退する一方で、ウェブ上のミニコミがおろそかにできない勢力をもつようになってきました。ここで起きていることは、これまで受け手であった情報の消費者が、送り手の役わりを担いつつある、ということにほかなりません。

 

番記者が担当政治家にごちそうになったり、役所ごとに設定された記者クラブで、官庁から流される記事資料を垂れ流している現状では、民主主義にたいするマスコミの貢献度が低いと見做されても致し方ないでしょう。政治や行政にたいするマスコミのチェックが甘いお国柄ということになります。消費者が送り手として登場してくると、政治、行政、それに企業の振る舞いについても、辛口のコメントが大量に流されることになり、それらはネガティブな側面も持ちながら、建設的な貢献を果たしつつあります。

 

一方、広告媒体としての時代の変化はどうなっているのでしょうか。マスコミが隆盛を極めた時代は、広告主や広告マンとってまことにやりやすい時代だった、と言われるようになるのではないでしょうか。マスコミが衰退し、ウェブ上にみんなが情報発信するようになると何が起こるか。それは飛躍的な媒体の細分化となって広告マンを悩ませるでしょう。

 

ミニコミをたくさん使えばマスコミと同じ効果が期待できるかというと、なかなかそうは行かない、というところが問題なのです。とくに大型のブランドマーケティングに関わってくるとたいへんです。マスコミでは一定の費者ターゲット層にたいする到達率と到達回数が、かなりうまくコントロールできたのですが、ミニコミの蓄積ではそうは参りません。一部の層にやたらに到達回数を稼いでみたり、到達回数が上がらないで、広範な層に拡散してしまったりしがちです。

 

ウェブ上の情報活動も、ホームページから、ブログ、さらにはツイッターと、情報発信細分化の速度を速めている現状では、広告業界が開発するであろう媒体計画づくりのコンピュータープログラムも後手後手になるのではないかと、人ごとながら心配になります。