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テレビ視聴率の謎解きに挑戦する

水曜日, 1月 7th, 2009

暮れも押し迫った27日、hqazさんの投稿「そもそも今のTV広告って...」で、「テレビ広告の効果が下がった」という主旨のコメントがありました。かりそめにも広告勉強会の座長役として、ただ黙ってほうっておくわけに行きません。そこで今日はその謎解きに挑戦してみようと思います。たしかに、最近テレビをあまり見なくなったという知人や、テレビ広告が効かなくなったという企業関係の方のコメントをお聞きすることがあります。それでも、例えば12月17日放送の「爆笑レッドカーペット」の世帯視聴率が20.7%だったとかいう数字が出ていて、5世帯に1世帯はこういう番組を見ているのかな、と思わされるから訳が分からなくなってしまうんですね。

さて、ある広告業界の方と話をしていたら、テレビ視聴率調査の母集団には番組を録画して見る世帯は含まれていない、という話になりました。つまりこういうことです。サンプル調査の結果、関東テレビエリアで番組を即時視聴する世帯の20.7%が、12月17日に「爆笑レッドカーペット」にチャンネルを合わせていたということです。そしてその数字が、関東テレビ世帯約1,400万世帯の20.7%がこの番組を視聴していたと同義に拡大解釈されて、世帯視聴率という数字になったのです。

録画視聴世帯を調査サンプルに含めようとすると、やっかいな問題が起こります。放映されたときに録画したのはあくまで録画であって、視聴ではない。しからばDVDレコーダーから視聴したときをもって「視聴率」にカウントして即時視聴と合算するか。そんなことは技術的にむずかしい。だから、即時視聴世帯の視聴率だけをビデオメーターで機械的に測定し、その数字を(録画視聴世帯を含む)全世帯に拡大適用して「世帯視聴率」を推定しているものと、推定されます。

統計的に、録画視聴世帯が即時視聴世帯とおなじ視聴行動をとってくれればそれで良いわけですが、きっとそうではないのでしょうね。そもそも一週間のうちで、録画視聴者がテレビ番組を録画または視聴している時間の累積長さは、即時視聴者の視聴時間の累計とちがうかもしれない。視聴する番組のタイプが違う可能性も大である。どう考えても、DVDレコーダーを愛用する人は、ドラマやドキュメンタリー、スポーツ中継などの愛好者が多いのではないでしょうか。

そうだとすると、視聴率調査で上位に挙がる番組は、録画視聴を除外しているから、バラエティーやお笑い番組が比較的に多くなる。そうなると、公表された世帯視聴率1%あたりでスポットの値段が決まっている現状では、テレビ局は公式の視聴率数字に反映する番組、つまりバラエティーやお笑いを多く編成したくなる。ますます視聴者トータルとしてのテレビ放送ばなれが起き、テレビ受像機はゲームやレンタルDVD再生のために使われる時間が多くなる。それでも、世帯視聴率はバラエティーやお笑い番組を、多くの世帯が見ているというデータを出し続けることになります。

 

さらに悪いことには、これは仮説に過ぎませんが、マガジン、バラエティー、お笑い番組といったジャンルはカジュアル視聴、つまり何となくテレビを点けておく視聴スタイルが多く、録画視聴されるような番組にはインテンシブ視聴が多いことが予想されます。テレビ広告の強さは、昔から視聴者がキャプティブ・オーディエンスであることに大きく依存してきましたが、その視聴パターンが崩れていることも、テレビ広告の効果をそいでいる原因ではないかと推察されます。

 

さあ、どうでしょう。この謎解き推理は当たっているでしょうか。このほかに録画視聴者の視聴行動にはCMをスキップして見るという別の問題があります。視聴率調査が内包するもう一つの前提条件は番組視聴率=CM視聴率ということですから、これがそうでないということになると、CM枠の売買はますます、実情と乖離した情報をもとに行われるようになる。広告主は、以前とおなじGRPのスポット広告を打っても手ごたえが違う、ということになろうというわけです。テレビ業界の悪循環、根が深そうですね。

ITのチカラ

水曜日, 12月 31st, 2008

子供の頃から、幾度も死にかかりましたが、ふしぎに永らえて今日があります。年末、とくその感慨を禁じえません。2年前の秋の夕暮れ、がんセンターのベッドで白い天井を見ながら、情報技術について考えるともなく思いをこらしていたら、次のような想念が白い天井からはらはらと降ってきました。以下その「はらはら」から。

 

こんにちほどIT(情報技術)という言葉がひんぱんに使われる時代は、これまでにありませんでした。それほどデジタル化された情報の創作、加工、伝達、保存などの技術は、画期的なものとしてもてはやされています。とくにインターネットが一般に普及するにつれて、ITがこれからの人類文明を大きく変えるだろうと予想する人が多くを占めるにいたっています。

 

しかし考えてみると、人類文明の発祥じたいが、例外なく農業を中心とする生産技術ばかりでなく、情報技術の発達によって起こったことは間違いないところです。音声で事実や意思を伝達する話しことばから、文字をつかって保存のきくメディアに記録することが可能になったことで、文明は飛躍的な発達を遂げたのではないでしょうか。穀物をはじめとする財を交換・流通させたり、税として取り立てたりするのに情報の記録はなくてはならないもので、そのために文字を粘土板や木の板などに記録したことが分かっています。これすなわちIT、つまり情報技術でなくて何でしょうか。

 

続いて起こったIT革命はパピルス、羊皮紙などの記録媒体で、それらはやがて中国で生まれた紙がとって代わりました。これもIT革命と呼ぶにふさわしいイノベーションだったはずです。紙を記録媒体として使うことは今日まで続いていますが、最初は墨やインクで手書きされ、もう一部欲しいときは手で書き写されていたことも、みんなよく知っていることです。手書きの文書は、ものすごい手間がかかることから当然貴重品であり、聖書や経典、国の掟などに用いられることがほとんどでした。そして、このようにして知識・情報を囲い込む者が権力を独占しました。中世ヨーロッパの教会やそれとギブアンドテイクの関係にあった王家がそれです。

 

続いて起こるIT革命は印刷術の発明。これで中世の権力構造がこわれた、と言ってよいのではないでしょうか。宗教革命と封建制の崩壊です。インターネットが情報民主化第二段とすれば、印刷術の発明がその第一弾であることに、疑いの余地はありません。これこそがフランス革命やアメリカ独立の原因となり、新聞・雑誌というマスコミの発達とあいまって、その後の世界史に民主主義の広がりをはじめとする世界史の激変の引き金を引いたと言えます。近代社会をかたち作った原因として産業革命を思い浮かべる人が多いでしょうが、私は情報革命が先で、そのほうがより大きな原因を作ったと思います。

 

つぎのIT革命は、いわずと知れたラジオ・テレビです。技術的には無線通信なんでしょうが、その利用は放送という形をとりました。新聞・雑誌ですでに道がつくられていたマスコミとして、しかもこれら印刷媒体よりも到達範囲が広く、なおかつエンタメ性の大きなメディアとして登場したのです。そしてこれら放送媒体のもう一つの特徴は、到達・伝播を物理的に制限しにくいことです。放送電波と飛行機が国境をこえて飛びかい、人類の国際化をすすめました。多くの独裁国家が他国からの電波の浸透をストップしようとしましたがうまく行かず、結果は自由主義・民主主義の広がりとなりました。ベルリンの壁、ルーマニアの政権交代、ハンガリー動乱なども、テレビ電波をはじめとする西側からの「情報」の影響が大きかったのではないでしょうか。

 

戦後まもなくのトランジスタの発明がデジタル元年とすれば、続く1960年代のインターネットの実用化は今日のIT革命の礎を築いたものと言えましょう。オンリーイエスタデー!50年そこそこでここまで来てしまった。デジタル情報革命のスピードには驚かされます。マスコミに携わる人も、数年前までは情報産業などともっともらしい言葉を使う人は少なく、先端産業というより、むしろ「実業」に対する「虚業」として、「まっとうな人たち」から蔑まれていたことを思うと、今昔の感ひとしおです。

雑誌のお話しをしましょう

水曜日, 12月 24th, 2008

インターネットも検索エンジンも無い時代、雑誌の世界に君臨していたたいへん儲かるビジネスモデルがありました。婦人誌といわれるジャンルで、「主婦の友」、「婦人倶楽部」、「主婦と生活」、「婦人生活」と、表紙を取り除くと分からなくなるような雑誌が4誌もあって、それぞれが主な地域地盤をもって棲み分けていました。シーズンごとに年末は「大掃除のコツ」などといって毎年、同じ時期に同じような家事についての記事を少しずつ模様替えして提供する。編集部は前年、前々年のアーカイブを参考にすれば大した苦労なしに大部分のコンテンツを提供できるわけです。読者のほうで世代交代してくれるから同じような内容を繰り返し提供しても大丈夫なんです。テレビが発達するまでは、これら主婦向けの雑誌が家庭向け商品の広告の受け皿になっていました。

 

アメリカでは、19世紀終わりから20世紀はじめに農業主体の経済から工業化経済へと変化を遂げました。そして農業社会のコミュニティーを離脱した「孤独な群集」が発生したのです。都会で生活する労働者やホワイトカラーの核家族が増え、主婦雑誌はその専業主婦のニーズを満たすために生まれました。「レディーズ・ホーム・ジャーナル」や「グッドハウスキーピング」が世界最大の発行部数を誇る雑誌として成長したわけです。そしてこれらの主婦向け雑誌が育んだのが石けん、歯みがき、プロセスチーズなど全国ブランドのパッケージ商品であり、さらにはそれらの商品の広告を雑誌に掲載する広告代理店だったわけです。

 

いま、テレビ、新聞、雑誌、いずれもインターネットの影響を受けていますが、中でも雑誌は大変です。なにしろ経営基盤、営業基盤が弱いので、収支償わなくなるとすぐ「長らくご愛読ありがとうございました」となる。多くの新聞・雑誌がネット上にサイトを設けるのですが、それがかえって本誌の休廃刊を早めている面もあるように見受けられます。

 

「あなたはこの時間にこのバラエティー番組を見るべきです」「あなたはこの時代この情報アソートに興味がある筈です」とマスコミ側は編成・編集されたお仕着せコンテンツを提供しようとする。それが過去100年以上成功してきたのですから。消費者の側は「私はこういう情報が欲しいのです」とウェブで検索して、そのとき、その場で必要な情報、興味のある情報を自分で選ぼうとする。このせめぎあいは当分続くでしょう。そして結局は情報検索エンジンという道具を手にした消費者に分がありそうです。お仕着せが成功する分野は、テレビにおけるスポーツ実況とか、新聞・雑誌における経済分野とか、限られたジャンルなんでしょうね。

マスコミの話しを続けます

水曜日, 12月 17th, 2008

東京タワーが開業50周年を祝ったそうです。この50年はまさにテレビの半世紀でした。「電気紙芝居」と馬鹿にされていた揺籃期を過ぎると、テレビから生々しく噴き出してくる同時代感、地球市民感の共有みたいなものが、一世を風靡したものでした。そして今、ピークアウトした倦怠感が厚さの薄くなったテレビからふわふわと吹き出しています。ベルリンの壁を破ったのは国境を越えて流れるテレビ放送の力によるところが大きかったのではないかと思いますが、ビルマの僧侶デモやチベットの反乱の誘因になったのは疑いもなくインターネット。主役交代の感を否めません。

 

こうなった今日においても、どうしてもテレビでなくっちゃ、というのが報道番組とスポーツ実況放送でしょう。そういう意味で、あるテレビ局が夕方6時から2時間の報道番組を立ち上げようとしているのは、テレビ本来の原点に立ち返ろうとしているのかと思います。実況放送のCMをその場でザッピングするわけに行かないですからね。ただし、最近のテレビ業界はこれらのジャンルもすべてバラエティー番組に仕立てようとする癖があるので気をつけないと。正々堂々と報道番組を作ることができるのか。そもそもわが国のテレビはニュース報道を株主である新聞社におまかせして、こちらはエンタメ主体で、と棲み分けしてきたのではないのか。内閣官房長官の発表をそのままテレビカメラで映すだけだったり、山に雪が積もりましたとか、どうでも良いことをこれぞ本日最大の関心事の筈ですなどと、視聴者の目を大事なことから逸らしてきたのではありませんか。笑止千万もお笑いネタの内というつもりでしょうか。

 

一方、報道という大事な使命をおまかせされた新聞社はというと、官庁記者クラブで渡された記事資料をそのまま真実として記事にしていることがほとんど。まるで戦争中の大本営発表システムがそのまま現代に生きているといった感があります。こういうことが改善されないと、新聞を購読する人はますます減少せざるを得ないでしょう。それで膨大な量の紙・パルプの消費が減り森林破壊のスピードが落ちるのは、或る意味では良いことですけどねえ。それなら、家庭で購読していない新聞を印刷して販売店に届けて、発行部数を水増ししたりするのは止めていただきたいものです。新聞広告の料金は交渉次第で割り引かれても、公表された発行部数を基に折込用のチラシを持ち込まざるを得ないスーパーマーケットは、配布されないチラシの折込料金を払うことになり、迷惑するではありませんか。

 

ところで、テレビでは田原総一郎さんがアンカーを勤める日曜朝の番組は「さすが」という気がします。そのあたりに転がっているネタを編集して見せるのでなく、水面から見えないものを発掘して、つまり徹底取材して見せるところにマスコミの真の値打ちがあるのです。しかし、サンデー・プロジェクトといえども独自取材で正義の味方を標榜できそうなのは地方自治体のケースがほとんど。霞ヶ関中央官庁のガードは固いんですね。どうも、今日はグチと悪たれ口が多かったようです。

こんなテレビが欲しいな

木曜日, 12月 11th, 2008

サイドテーブルの上にあるコードレスのマウスで、画面上のウィンドウをクリックするとテレビのチャンネル選択のほか、インターネットのサイトが見られる。NHKのアーカイブなど見たいときに見られる。新聞のネット版も読める。一つの番組を見ながら、サブ画面でもう一つの番組またはウェブサイトをチェックできる。番組表を画面に呼び出して録画予約録画も自由自在。

 

さらに、携帯電話などのキーボードからインターネットのブラウザーのキーワード検索ができる。実はこの検索機能こそがエンタメを含めて、これからの情報接触のキーポイントなんですね。今のテレビも新聞・雑誌もここんところが外れているから、どんどん時代から取り残されようとしているわけです。そして検索サービスをめぐるグーグルとマイクロソフトの熾烈な戦いをよそ事のように報道していらっしゃる。民放の「やめろ、やめろ」の大合唱をよそに強引に過去番組アーカイブを始めようとしているNHKだけは、事の重大性に気づいているのでしょう。

 

ところで、こんなテレビ(パソテレ?)を発売するのはエレクトロニクス・メーカーにはいとも簡単な筈です。パソコンのモニターにテレビチューナーが付いた30インチぐらいの情報端末/フラットディスプレーですから。出てこないところを見ると、誰かがブレーキを踏んでいるんでしょうか。放送業界や担当省庁から「作るな」と言われるのか、エレクトロニクス業界が放送業界に遠慮して自己規制しているのか、パソはテレビと別の商品として売りたい、ということか、はたまた計画的小出し陳腐化作戦で少しずつ新機軸を出して、何回も買い替えさせようという魂胆か。

 

何回も買い替えさせるといえば、マスコミのこれまでのコンテンツ作りの手法は自社の編集部/編成部だけが過去コンテンツのアーカイブを利用できる仕組みの上に構成されていました。以前の作品の化粧を変えたり、複数の作品のコンセプトを合成したりして新しいコンテンツとして発売し、斬新なイメージをまとった使い捨てコンテンツを提供してきた面があります。そうやって繁栄してきたマスコミ業界がインターネット時代の大衆検索文化到来で苦労しているのが実態ではないかと思います。この問題は巨大です。「検索が要るなら電子辞書を買えば?」などと言っていると取り返しがつかなくなる恐れがあります。

車の両輪

火曜日, 12月 2nd, 2008

大量生産、大量消費の戦後社会を、テレビとスーパーマーケットという二つの装置が車の両輪のように支えてきたことは、議論の余地の無いところでしょう。自動車などは別として、スーパーの業界でグロサリーと呼ばれるパッケージ加工食品の場合、まさにそういうことが言えます。大手の食品メーカーでは、営業部がスーパーマーケットに営業し、宣伝部がテレビ局と付き合うという構図で発展してきたわけです。

 

スーパーの棚換えのある春と秋に向けて次々に新製品を発売し、それらの知名度を短期間のうちに一定水準に引き上げるという戦術が可能になりました。知名度マーケティングとでも言うべき、テレビ以前には考えられなかった手法です。テレビCM視聴何回で知名度(≒親近感)が生まれ、知名度何%を超えるとその新製品の試用率が急速に上がるというような経験則が明らかになり、新製品の設計に誤りが無ければ、かなり確実に売れる方程式が確立したと言えます。江戸時代の川柳のように独自の発達を遂げた15秒CMは、知名度が上がれば他に何も要らない、という広告思想をも発達させました。

 

ところが最近、この構図に変化の兆しが見られるのではないか、というのは私の僻目でしょうか。どうもテレビCMの効率が落ちているらしい。そりゃあそうでしょう。じっくり見たいドラマや映画は録画しておいて後でCMをカットして鑑賞する。流行のバラエティー番組は特に座って見るわけではないが、例えば部屋の賑わし環境装置、社会の窓として点けっぱなしにしておくというようなテレビの見方が一般的になると、CMのインパクトは落ちて来ざるを得ないでしょう。人々のテレビとの付き合い方は大いに変化してきたと言うほかありません。同じようにディスプレイ装置を見ていても、インターネットやゲームと付き合う時間が増えてくれば、テレビを見る時間は減らざるを得ないという事情もあるでしょうね。

 

ここで当然起きてくるだろうことはマーケティング戦術の見直しです。すでにテレビ全盛の時代に或る食品メーカーが採っていた戦略は、60%の知名度を獲得するのにテレビで30%、店頭で30%を目指していたと言われます。テレビのパワーが落ちてきたら、このメーカーさんはどうなさるのでしょうか。おそらく1%の知名度を獲得するためのコスト効率の良いほうに比重が掛かるのでしょう。そして、さらに推測に推測を重ねれば、店頭活動に掛けるメーカーの予算は必然的に上昇せざるを得ず、スーパー店頭は販促的視点ばかりでなく、広告媒体的視点からも見直されるのではないでしょうか。

 

現代消費社会の車の両輪、ショーの第二幕はこれから始まるというわけです。

「無声コマーシャル」の進出

水曜日, 11月 26th, 2008

たしか11月18日だったと思います。何気なくヤフーのトップページを開けると、そこにサントリーの缶コーヒー「ボス」の広告。ついに出ましたねー。飲食料の広告には向かないと言われてきたウェブ広告の世界に、若者向けとは言え缶コーヒーですよ。ウェブのバナー広告に知名度アップの効果はあるのかなど、地道な調査を行ってきたヤフーの努力が報われたというところでしょうか。

 

さらに、私が「やったね!」と思ったのはその広告表現手段でした。バナー広告では別段珍しくないのですが、それを宣伝巧者サントリーの「ボス」で見ると場違い感というか、意外な感じを禁じ得ないのでした。山手線や中央線のドア上に掲出されている「無声コマーシャル」。字幕、動画、静止画像を縦横に駆使してメッセージを伝えるアレです。

 

2000年にわれわれがスーパーマーケットの一店舗で店頭媒体実験を実施したときは、広告主に15秒のテレビコマーシャルを提供してもらったのでした。そして、一定の環境の下では音声があっても無くても、言葉によるメッセージを字幕で出す方式が求められることを実感したものでした。果たせるかな、コンビニのレジ、銀行のカウンター前など、いわゆる店頭サイネージの世界では字幕を多用した「無声コマーシャル」が主流を成しています。

 

動画でなければコマーシャルではないようなテレビの世界とは無縁に、別ルートで発達してきた「無声コマーシャル」は、ひょっとするとこれからはテレビの世界にも入り込んで行くかも知れません。というのは、テレビの世界で全盛を極めているバラエティー番組は、ラーメン屋さんや飲み屋さんの店頭の賑わし装置としてぴったりだからです。番組中のおしゃべりに耳を傾けている人などいませんが、ザワザワとした店内に何となく社会の窓が開いている、という仕掛けをバラエティー番組が提供しているのです。そして、そこに出てくるCMは「無声コマーシャル」がぴったり。受像機から離れたところで、ざわざわした環境下でラーメンを啜っているお客さんにしっかりメッセージが届くというわけです。