連呼型選挙とマーケティングの類似性

むかし、と言っても1960年代ですが、テレビがようやく一人前の媒体として歩き始めたころ、5秒コマーシャルというのがありました。例えば三船敏郎がビタミン剤のビンを手にして「飲んでますか?」という。ただそれだけですが、「いそがしい毎日で、疲れる人は、私のようにXXXをのんで頑張りましょう。」といったメッセージが伝わる秀作もありました。

 

さすがに5秒コマーシャルは、あまりにもテレビのステーションブレークを混雑させる、というので廃止になりました。それでも、わが国の標準、15秒コマーシャルは、国際スタンダードの30秒と比較すれば格段に短い。やはり俳句のお国柄です。そればかりでなく、本質的にテレビコマーシャルが短時間で、好もしい感じなどの感情惹起や印象付けに強い力を発揮できることは、間違いないようです。それだけの目標に向かって集中し、割り切ったコマーシャルが多く見られます。片や諸外国では、事実についての認識を創り出そうとするコマーシャルが比較的多いように見られます。

 

コマーシャルや商品にたいする知名度や好感度をあげることで、商品の売り上げがアップする、という図式は世界中どこでもあることですが、特にわが国では顕著に見られる現象のようです。ブランド間に品質の差異がない商品カテゴリーでは、知名度が市場シェアに影響することが多く、15秒テレビCM依存型マーケティングが支配してきました。

 

このことは、政治の世界に当てはめてみると、類似性があることがわかります。つまり、わが国の選挙は連呼型の選挙運動がいまだに主流をなしています。政策そっちのけで、知名度だけで選挙戦が戦われることが如何に多いか。しかし、この世界でも数年前から「マニフェスト」ということがうるさく言われるようになり、だんだんと政策論争による選挙へと移行しようとしています。「顔見知り主義」とでもいうべき日本的、いや、アジア的現実から次第に脱却するのでしょうか。選挙戦で連呼を禁止すれば、この動きは早まるでしょう。

 

ビジネス、あるいは広告の世界でも同じことが起きるのでしょうか。15秒テレビコマーシャルという、いわば連呼型の兵器が力を失い、ウェブ広告が取ってかわらざるを得なくなれば、結果として別の形のマーケティングが模索されるかも知れません。かといって、低関心商品のマーケティングが製品特徴認識型に移行するわけではないでしょうから、さあ、どうすれば良いのでしょうねえ。

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