10年後の広告はどうなっているか(2)

そもそもこれまで隆盛を誇ってきたテレビは、人々に何を提供してきたのか。娯楽?暇つぶし?思うに、テレビの最大の役割は、人々に世の中の変化を共有、共感させることではなかったか。だからこそ、時代の寵児として熱狂的に歓迎され、人気を独占してきたのではなかったか。農家のおばあちゃんにも、沖合いに向かって航行している漁船の乗組員にも、いわゆる「社会の窓」を提供してきたのです。

 

その仮説は間違っています、と言われるとお話の展開に困るのですが、ここは、当たらずとも遠からず、としましょう。そこで当然つぎに出てくるのは、その役割はテレビが独占し続けるのでしょうか、という疑問ではないでしょうか。誰が考えたって答えは同じ、インターネットが強力な競争相手として登場していることに疑いの余地がありません。まだ農家のおばあちゃんには普及していないけれども、ウェブ年齢層は上へ上へと拡大中です。さて、このような社会的役割を果たしてゆく仕組みとして、これら新旧二つのエンジンが規模的に逆転するのは何時でしょうね。

 

ここまでは、社会の窓としての役割がテレビからウェブへ、分担割合に変化が生じつつあるというお話です。前回のブログで述べたように、インターネットの拡大は媒体の細分化を伴うということも事実です。細分化の究極の姿は、一人一媒体、つまりすべての人が何らかの形で情報を発信する、という社会です。別にSFの世界ではなく、かなりの程度まで、すでに事態は進展していると考えてよいのではないでしょうか。こうなると、商品やサービスに関する情報のやりとりは、送り手の立場から見るのと、受け手の立場から見るのとではまったく違ってきそうです。媒体の概念自体が変わってしまう、と言って良いでしょう。広告を職業としている人にとって、悪夢のような社会がついそこまで来ているかも知れないぞ、というわけです。

 

このほか、新しく登場したインターネットという情報伝達手段には、テレビになかった恐るべき能力がそなわっています。単に天気予報の放送予定時間にならなくても天気予報を見ることができる、といった類のことではありません。それは情報を蓄積するアーカイブ性と、蓄積されたた情報のうち、好きなものを好きなときに取り出すリトリーバル性です。ここんところが実は明日の広告を語る上で重要なポイントになりそうです。次回は、こういった新時代の媒体の特徴がどう広告に影響するか、たくさんの仮設を提示してみたいと思います。

 

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