娘と僕


Generations by Andy Rouse

Originally uploaded by frenchmonkeys

仕事は常に終わらない、という状況になって久しいが忙しいときに娘の世話をしていると仕事の事が気になって、このままじゃ仕事まずいなぁとずっと思っていた。とは言っても娘の世話をしない訳にはいかないので、忙しいなか対応しているとだんだん割り切れるようにはなってきた。

そうやって自分の時間を割きつ、娘の世話をしながら彼女の未来を考えて一緒に行動していると、彼女の人生の一部が自分の人生の一部ではないかという錯覚が生じてくる。自分の重要な時間を彼女に使っているという未練が強すぎるかもしれないが、でもそう思ってしまう。娘が歩む人生も自分の人生の一部なのではないかと。

そう思ってしまうと彼女といる時間をもっと大事にしようかなと思うようになった。なるだけ一生懸命遊ぶようになった。
自分の人生が子供の人生の一部、とまで押し付ける必要はないとは思うが、子供の人生は自分の人生の一部、というのはそれはそれで正しいような気もしている。
僕が亡くなったあとも僕と過ごした記憶やそのとき感じた感性は彼女にずっと残っていると思う。そう思うとなんだか自分にはとても時間が少ないような気がしている。

そんな事を父の日の今日も考えたのだが、実は自分の亡き父親もそうやって考えていたのかもしれない、と思うと若い頃気分的に反発していた自分が寂しい気がする。が子供はそんな物かもしれない。僕の娘もきっとそうなるだろう。それでいいと思う。

いずれにせよ、人間は環境との共有も必要だが、世代間の何かしらの共有が必要だとは思っているが、この気持ちや行動がそれなのかはまだわかっていない。
by hdknr.com

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