ITのチカラ

子供の頃から、幾度も死にかかりましたが、ふしぎに永らえて今日があります。年末、とくその感慨を禁じえません。2年前の秋の夕暮れ、がんセンターのベッドで白い天井を見ながら、情報技術について考えるともなく思いをこらしていたら、次のような想念が白い天井からはらはらと降ってきました。以下その「はらはら」から。

 

こんにちほどIT(情報技術)という言葉がひんぱんに使われる時代は、これまでにありませんでした。それほどデジタル化された情報の創作、加工、伝達、保存などの技術は、画期的なものとしてもてはやされています。とくにインターネットが一般に普及するにつれて、ITがこれからの人類文明を大きく変えるだろうと予想する人が多くを占めるにいたっています。

 

しかし考えてみると、人類文明の発祥じたいが、例外なく農業を中心とする生産技術ばかりでなく、情報技術の発達によって起こったことは間違いないところです。音声で事実や意思を伝達する話しことばから、文字をつかって保存のきくメディアに記録することが可能になったことで、文明は飛躍的な発達を遂げたのではないでしょうか。穀物をはじめとする財を交換・流通させたり、税として取り立てたりするのに情報の記録はなくてはならないもので、そのために文字を粘土板や木の板などに記録したことが分かっています。これすなわちIT、つまり情報技術でなくて何でしょうか。

 

続いて起こったIT革命はパピルス、羊皮紙などの記録媒体で、それらはやがて中国で生まれた紙がとって代わりました。これもIT革命と呼ぶにふさわしいイノベーションだったはずです。紙を記録媒体として使うことは今日まで続いていますが、最初は墨やインクで手書きされ、もう一部欲しいときは手で書き写されていたことも、みんなよく知っていることです。手書きの文書は、ものすごい手間がかかることから当然貴重品であり、聖書や経典、国の掟などに用いられることがほとんどでした。そして、このようにして知識・情報を囲い込む者が権力を独占しました。中世ヨーロッパの教会やそれとギブアンドテイクの関係にあった王家がそれです。

 

続いて起こるIT革命は印刷術の発明。これで中世の権力構造がこわれた、と言ってよいのではないでしょうか。宗教革命と封建制の崩壊です。インターネットが情報民主化第二段とすれば、印刷術の発明がその第一弾であることに、疑いの余地はありません。これこそがフランス革命やアメリカ独立の原因となり、新聞・雑誌というマスコミの発達とあいまって、その後の世界史に民主主義の広がりをはじめとする世界史の激変の引き金を引いたと言えます。近代社会をかたち作った原因として産業革命を思い浮かべる人が多いでしょうが、私は情報革命が先で、そのほうがより大きな原因を作ったと思います。

 

つぎのIT革命は、いわずと知れたラジオ・テレビです。技術的には無線通信なんでしょうが、その利用は放送という形をとりました。新聞・雑誌ですでに道がつくられていたマスコミとして、しかもこれら印刷媒体よりも到達範囲が広く、なおかつエンタメ性の大きなメディアとして登場したのです。そしてこれら放送媒体のもう一つの特徴は、到達・伝播を物理的に制限しにくいことです。放送電波と飛行機が国境をこえて飛びかい、人類の国際化をすすめました。多くの独裁国家が他国からの電波の浸透をストップしようとしましたがうまく行かず、結果は自由主義・民主主義の広がりとなりました。ベルリンの壁、ルーマニアの政権交代、ハンガリー動乱なども、テレビ電波をはじめとする西側からの「情報」の影響が大きかったのではないでしょうか。

 

戦後まもなくのトランジスタの発明がデジタル元年とすれば、続く1960年代のインターネットの実用化は今日のIT革命の礎を築いたものと言えましょう。オンリーイエスタデー!50年そこそこでここまで来てしまった。デジタル情報革命のスピードには驚かされます。マスコミに携わる人も、数年前までは情報産業などともっともらしい言葉を使う人は少なく、先端産業というより、むしろ「実業」に対する「虚業」として、「まっとうな人たち」から蔑まれていたことを思うと、今昔の感ひとしおです。

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