「受け手の立場から見た広告」

11月20日(木)、尊敬するbossからご教授いただける「広告勉強会」に参加させていただきました。

その勉強会を迎えるにあたり、事前に「受け手の立場から見た広告」という課題を頂きました。

しかし、広告の「こ」の字も分からないド素人の私が、何を書こうかと悩んだ末、毎日の生活の中で飛び込んでくる広告について感じた事をレポートしました。

下記がその時、提出した初めてのレポートです・・・。

 

 

「広告」。あらゆる所に広告が溢れていますが、私の中で広告を大きく分けると「見たい広告」「見たくない広告」「なんとなく見てしまう広告」に分かれます。

 

「見たい広告」とは、元々興味のある事柄がズバリ、「内容」や「画像」「デザイン」に反映されている広告です。チラシがあれば持ち帰りますし、なければメモに書留めます。もしくは携帯電話のカメラにおさめます。その逆が私にとってまったく興味のない事柄が「見たくない広告」になります。

 

そして今、私の中で気になるのが、「なんとなく見てしまう広告」です。

それは、「元々興味が有る無し」もしくは「好きか嫌いか」とは関係なく、例えば、電車内の広告のように、車中に拘束されてしまう時に見てしまう広告(山手線車両内にある『動き』のある広告も見入ってしまいます)。

また、興味がある事柄でもなくても、それこそなんとなく『ひっかかる(気づかされるコトバ)』がある広告です。

そしてポータルサイト上の広告のように、『その場』や『すぐ』に深く情報に入り込める広告も気になります。

 

この『なんとなく見てしまう広告』には、作り手側のどんな仕掛けがあるのか、受け手の立場としての私は紐解いてみたいです。

Comments are closed.