10年後の広告はどうなっているか(4)

広告でものを知らせたい、というのは提供する側の一方的な願望であって、受け手の消費者が広告して欲しいと言ったわけではありません。つまり、広告そのものを消費者が渇望したことはない。極端な言い方をすれば、広告は宿り木のようにジャーナリズムに寄生して、メーカー側のニーズを満たしてきたわけです。経済社会全体をうまく循環させる機能をはたしているのですが、基本的な消費者ウォンツ、ニーズが欠如しています。だから、寄生すべきジャーナリズムという木が枯れたときは存立が困難になります。

 

新聞・雑誌にしてもテレビにしても、ジャーナリズムそのものにたいしては消費者ニーズがあります。そして広告は、媒体料をジャーナリズムに供給することによって、寄生した宿主を養う役割も果たしてきたのです。木が弱ってくると、宿り木も弱ってくる。宿り木から栄養補給をしてもらっていた樹木そのものの勢いも衰えてきます。

 

言うまでもなくウェブの特徴は、無料で、かんたんに情報を入手できるところにあります。そしてウェブでは、これまでジャーナリズムが提供してきたエキスパート・オピニオン以外に、素人の集合知を集積・提供することが容易にできるので、参加型の情報の場が作りやすくなります。

 

紙や電波の媒体がウェブに取って代わられるのであれば、広告も新しい媒体に掲載すれば良いだけのことではないのか。確かにその通りですが、見たいコンテンツに乗せて、見たくないものを見せることに終始してきた広告は、新しい情報伝達手段とどう折り合いをつけてゆけば良いのか、急には答えが見つかりそうもありません。

 

ウェブが得意とする情報伝達方式は、検索されるキーワードに連動することで、関心領域を限定することには成功しそうです。しかし、同じ対象者に何回も同じメッセージを届けることにより知名、認知を形成するという、既成のマスコミに乗っかることで可能だったこと、広告の基本的な作用にかかわる部分が、どうすればウェブで出来るのか、少なくとも現在のところ見えてきていないのではないでしょうか。広告主による情報伝達ニーズが高まるにもかかわらず、適切な情報伝達手段が見つからない、という状態がしばらく続きそうです。

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