10年後の広告はどうなっているか(6)

―広告を見ることを強いられない自由―

先日の広告閑話の中で、消費者は広告を見たいと言っていないのに、一方的に見せられてきたことを指摘しました。新聞記事を読もうとすると広告が載っている、テレビ番組を見ようとすると否応なくコマーシャルが出てくる。電車に乗ると中吊りポスターだらけ、と言うわけです。大量生産、大量販売の時代に突入して以来、消費者は自らの意思と関係なく、大量の広告メッセージにさらされてきたのです。

ところが、広告のじゅうたん爆撃がピークに達した1990年代から、この風潮に転機が訪れました。テレビ番組を録画したうえで、CMをカットして見る視聴スタイルが広がってきたのです。業界用語でいうザッピングです。そればかりではありません。メールによる広告は事前の許諾が必要とされたほか、雨あられと飛んでくる迷惑メールをカットするシステムも当たり前になりました。

広告メッセージを露出したい側と、それから逃れようとする側の攻防はまだまだ続くでしょう。媒体種類別の広告出稿量では、ウェブ系の比率が上がってきています。しかし、デジタル情報の領域になると、CMカットの技術開発も比較的やり易くなるのではないでしょうか。ウェブサイトから検索連動CMをカットするためのプログラムを無料でダウンロードできる日は遠くないでしょう。

こうなってくると、いくら広告主が広告メッセージを送りたいと何兆円もの予算を用意しても、受け手の防御網が発達すれば、効率的にそれを運用することができなくなります。防御網を張ることが難しい媒体、つまり電車の中吊りやスーパーの店頭広告などは、ますます引く手あまたになりそうです。このような環境は広告業者をより儲けさせるのか、逆風になるのか、うーん、微妙ですね。

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