10年後の広告はどうなっているか(7)

―広告の対流通デモンストレーション効果―

 

昭和30年代に出版された、アメリカのジャーナリストによる「マディソン・アベニューUSA」という広告業界の裏事情を伝えるノンフィクション本に、概ねこういう記述がありました。曰く、ファッション業界の人にとっては、広告が雑誌の読者に見られることが目的なのではない。雑誌に出た広告を切り抜いて小売店に見せ、「ほら、こんな広告を出すから仕入れた方がお得ですよ」と言って、売り込むための手段に使っている、と。これが私の言う広告の対流通デモンストレーション効果です。

 

最近では、スーパーマーケットに売り込む営業さんが、バイヤーに対して「来月はTVスポットを1,000GRPも打つので、ぜひ月間特売に取り上げてください、などとやっています。スーパーの棚替えの時期になるとスーパーマーケット商品のテレビスポットが増え、店頭で商品が売れる8月夏休みにはテレビスポットが閑散期になるわけですね。

 

デモンストレーション効果は対流通ばかりではありません。消費者同士でも存在するのです。消費者も、出ている広告を見るとき、無意識ではありますが「この広告を何百万、何千万の人が見ているのだ」という、情報共有感覚をもって見ていることは、自分のテレビ視聴態度を反省してみれば分かります。このようなデモンストレーション副作用がテレビ広告の効果を増幅してきたことは否めません。この「情報共有感覚」は、テレビという媒体で最高潮に達しました。そもそもテレビは、情報共有感覚メディアなのです。それが典型的な「マスメディア」というものの真骨頂なのです。

 

消費者間における情報共有感覚は、広告の効果を増幅する作用をもっています。世の中の人々はこんなものが好きなんだ、とか、こんなものが若者の間で流行っているんだ、というような副次的情報をばら撒くからです。オープンな媒体と、クローズドな媒体といっても良いでしょう。情報共有感覚の多い順番に媒体をリストアップして見ます。まず、テレビですね。新聞はどうでしょうか。少なくとも、ほとんどすべての家庭で例外なく新聞を購読していた時代には、そうでしたね。電車の中吊り、ハイ、すごくオープンで、みんなが見ている感が強いですね。雑誌はどうでしょうか。新聞と同じで、これも部数によりけり、ということになります。街頭看板が繁華街のものと人通りのすくない住宅街のものとでは違うように、です。DM、これは何百万部送っても情報共有感覚が余りありません。こんな分析に基づいて、これからの媒体、ウェブを考えてみると、新しい視野が開けてくるかも知れませんね。あなたはどのようにお考えですか。

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