Archive for 12月, 2009

大晦日

木曜日, 12月 31st, 2009

今年も多くの方々にお世話になりながら無事に一年を終えようとしています。

今年一年で何か大きく成長したか?おもいを形にする事ができたか? 
今日はゆっくり振り返って考える時間にしたいと思います。

「アンダー・ザ・テーブル」から「オン・ザ・テーブル」へ

日曜日, 12月 20th, 2009

また政治のはなしです。こんどの政権交代がおきるまでは政策はほとんど「アンダー・ザ・テーブル」できめられていました。官僚依存ということばどおり、官僚と族(賊?)議員のあいだで国民の知らぬ間にものごとがきまり、次官会議でお役所間の調整がなされます。大きな政策課題では、お役所が指名する「学識経験者」による諮問委員会がつくられ、役所の意向に沿った答申がでてきます。政策案が閣議にだされたときは、閣僚は意見を述べずに黙ってハンコを押し「閣議決定」とする、というのが慣習化していました。国会での議事も決議も与党の執行するセレモニーにしかすぎない。つまり、ほとんどのものごとは官僚主導の水面下のネゴできまっていたのです。マスコミを含む皆がこれを民主主義と呼び習わしてきました。

 

新政権は「脱官僚依存」といっています。マニフェストに基づいて国民が選挙で選んだ国会議員が、それぞれ自分の意見をもって喧々諤々やりながら政策決定をする。それが国民の目に触れるわけですから、これまでとだいぶん様子がちがいます。これまで「アンダー・ザ・テーブル」で粛々と(国民の目からはそう見えた)やっていたことを「オン・ザ・テーブル」にさらけ出すことになります。マスコミは「閣内不一致」だの「決断力の欠如」だの、「もたついている」だのとさかんに批判していますが、そもそも政策決定の過程が国民の目に見えることは良いことじゃないか、と私は思うのです。

 

これまで、ものごとがみんなの目に触れないところで決まるので、マスコミはさかんに推測記事を書くのが慣わしでした。また、この隠匿体質の中で、マスコミはお役所や、政治家が一方的に発表することをそのまま記事にしてきたわけです。オン・ザ・テーブル方式に移行しても、この習慣からはなかなか抜け出せないようです。お上の配ってくれる資料をそっくり記事にする省エネ紙面づくりから、急には自分で取材して自分で考えて書く、手間ひまかかる方式には変われないのでしょう。しかし、それではマスコミも守旧派の政治家と同じ命運をたどらざるを得ないのではないでしょうか。

スロヴェニア・クロアチアに行ってきました

水曜日, 12月 9th, 2009

ちょっと前になりますが(10月上旬なので、かなり前です)夏期休暇でスロヴェニア・クロアチアに行ってきました。

クロアチアは1995年まで内戦が続き、ドブロブニクは1998年までは世界遺産の危機遺産リストに入っていました。今では復興されて、美しい町並みになっています。

ところどころ、内戦の爪痕は残っており、ドブロブニクのきれいなオレンジ色の屋根は、暗いオレンジの部分がもともとの色で、明るいオレンジの屋根は、戦後復旧された部分だそうです。

観光地を繋ぐ途中の道では、銃弾の跡が残る家や、廃墟になっている家が点在していました。

ザグレブ(クロアチアの首都)でも、中心部は広々としてきれいで、治安もよく 夜中でも歩けるほどでしたが、ちょっと外れると建物には銃弾の跡が残り、歩く人も少なく、歩くのが怖いくらいでした。

プリトヴィツェ国立公園を案内してくれたガイドさんが、南米系の人でした。ずいぶん遠くまで来て働いているな、と思ったら、ダンナさんがクロアチア人とのこと。内戦で避難した先で知り合い 結婚、内戦終結後 ダンナさんと一緒に戻ってきた、ということでした。こういうカップルはけっこう多いらしく、スプリットでのガイドさんも、外国の人でした。