外苑の銀杏並木もいい色になりました。
千駄ヶ谷小学校の交差点の山桜も紅葉しています。
月曜日から今年最後の月が始まります。
がんばりましょう。
by hdknr.com
毎朝一時間ぐらい散歩しています。
前はジョギングしたりだったのですが、どうしても熱中してしまう性格のせいかだんだんハードになって疲労が蓄積して終いには風邪をひいたり足を怪我したりとかで結局途中リタイアになるケースがほとんどでした。
半年以上ほぼ毎日散歩していますが、子供が突然走り出したりしたときも息が上がったりしなくなりました。ほかの理由もあるでしょうが、信号待ちでストレッチしたりしているせいか肩こりも軽くなってきたような気がします。
試験とか資格を取るとかと違って、健康のようにゴールがないもの、おそらく職業、子育て、家庭の幸福感、これらすべては一度に集中してやると結果が得られるといった類のものではなく日々淡々と作業を行う中で形成されてより良くなっていくものではないでしょうかね。
なんて、散歩始めてから思うようになりましたよ。
by hdknr.com
11月20日(木)、尊敬するbossからご教授いただける「広告勉強会」に参加させていただきました。
その勉強会を迎えるにあたり、事前に「受け手の立場から見た広告」という課題を頂きました。
しかし、広告の「こ」の字も分からないド素人の私が、何を書こうかと悩んだ末、毎日の生活の中で飛び込んでくる広告について感じた事をレポートしました。
下記がその時、提出した初めてのレポートです・・・。
「広告」。あらゆる所に広告が溢れていますが、私の中で広告を大きく分けると「見たい広告」「見たくない広告」「なんとなく見てしまう広告」に分かれます。
「見たい広告」とは、元々興味のある事柄がズバリ、「内容」や「画像」「デザイン」に反映されている広告です。チラシがあれば持ち帰りますし、なければメモに書留めます。もしくは携帯電話のカメラにおさめます。その逆が私にとってまったく興味のない事柄が「見たくない広告」になります。
そして今、私の中で気になるのが、「なんとなく見てしまう広告」です。
それは、「元々興味が有る無し」もしくは「好きか嫌いか」とは関係なく、例えば、電車内の広告のように、車中に拘束されてしまう時に見てしまう広告(山手線車両内にある『動き』のある広告も見入ってしまいます)。
また、興味がある事柄でもなくても、それこそなんとなく『ひっかかる(気づかされるコトバ)』がある広告です。
そしてポータルサイト上の広告のように、『その場』や『すぐ』に深く情報に入り込める広告も気になります。
この『なんとなく見てしまう広告』には、作り手側のどんな仕掛けがあるのか、受け手の立場としての私は紐解いてみたいです。
ティンバーフレーム等の特殊木造建築もしています。
完全オーダーメイドなのでプランから仕様まで一軒一軒すべて違います。
プランニングは一回で決まるなんて事は皆無で、5回から10回の提案、打ち合わせ、修正を繰り返します。
時には20回以上プランを作成し、一年以上かかる場合もあります。
それでも契約に至らないケースも多々あるんです。
まずはお客様が豊富に持っているであろうイメージを掘り出さない事には始まりません。
直球、変化球を混ぜながら色々な質問をしてお客様の世界を引っ張り出す事に精力を注ぎます。
お客様は希望の家について、手書きの間取り図で説明する人、写真、雑誌の切り抜きを大量に持ってくる人、「ほら、あの映画の中のあの家の感じよ。わかる?」等様々な方法で情報発信してくれます。
なかには矛盾していたり、無理な希望もテーブルの上にとにかく並べます。
リビングの真ん中にトイレが欲しい?
室内にバスケットゴールが欲しい?
部屋からガラス張りの浴室が欲しい?
出てくるアイデアは「なるほど」というものもありますし「どうして?」と思うものもあります。
でも一見常識はずれの突拍子もないものが新しい物、オンリーワンを生み出す源です。
アイデアがすべてそのまま実行されるわけではありません。
専門側からの意見も述べますがお客様がそれを選択する理由がとても重要です。
常識的な物が欲しいのであれば大手メーカーの大量にあるプランの中から無料で選び放題です。その中から選択するだけでいいのです。
中小企業は常識と非常識の間できらりと光る物を造り出す土俵で勝負しないとね。
たしか11月18日だったと思います。何気なくヤフーのトップページを開けると、そこにサントリーの缶コーヒー「ボス」の広告。ついに出ましたねー。飲食料の広告には向かないと言われてきたウェブ広告の世界に、若者向けとは言え缶コーヒーですよ。ウェブのバナー広告に知名度アップの効果はあるのかなど、地道な調査を行ってきたヤフーの努力が報われたというところでしょうか。
さらに、私が「やったね!」と思ったのはその広告表現手段でした。バナー広告では別段珍しくないのですが、それを宣伝巧者サントリーの「ボス」で見ると場違い感というか、意外な感じを禁じ得ないのでした。山手線や中央線のドア上に掲出されている「無声コマーシャル」。字幕、動画、静止画像を縦横に駆使してメッセージを伝えるアレです。
2000年にわれわれがスーパーマーケットの一店舗で店頭媒体実験を実施したときは、広告主に15秒のテレビコマーシャルを提供してもらったのでした。そして、一定の環境の下では音声があっても無くても、言葉によるメッセージを字幕で出す方式が求められることを実感したものでした。果たせるかな、コンビニのレジ、銀行のカウンター前など、いわゆる店頭サイネージの世界では字幕を多用した「無声コマーシャル」が主流を成しています。
動画でなければコマーシャルではないようなテレビの世界とは無縁に、別ルートで発達してきた「無声コマーシャル」は、ひょっとするとこれからはテレビの世界にも入り込んで行くかも知れません。というのは、テレビの世界で全盛を極めているバラエティー番組は、ラーメン屋さんや飲み屋さんの店頭の賑わし装置としてぴったりだからです。番組中のおしゃべりに耳を傾けている人などいませんが、ザワザワとした店内に何となく社会の窓が開いている、という仕掛けをバラエティー番組が提供しているのです。そして、そこに出てくるCMは「無声コマーシャル」がぴったり。受像機から離れたところで、ざわざわした環境下でラーメンを啜っているお客さんにしっかりメッセージが届くというわけです。