Archive for 3月, 2010

繁盛する「情報持ち寄り勝手連」サイト

水曜日, 3月 31st, 2010

若い世代ほど、1日のうちのより多くの時間をインターネットに費やし、テレビや新聞などのマスコミに接する時間が少ないことがはっきりしてきました。この事態に対処するため、マスコミ各社は「旧来のメディアと通信との融合」という形を模索しています。そこにはニューメディアの力を借りて、なんとか新しい時代へ適合したい、そしてマスコミとしての命運を繋ぎ止めたいという願望がありありと見えます。

 

マスコミ各社が試行していることは:-

 

従来のコンテンツをネット上に置き換える。

これまで一方通行だった情報の流れを、ネットを利用してチョイと双方向にする。

さまざまなコンテンツを検索して何時でも見られるようにする。

 

などですが、どうもはかばかしい成果は得られていないようです。

 

いま、ネット上の新しいサイトで繁盛しているものは、編集部とユーザーの双方向の情報のやりとり情報ではなく、ユーザー同士のマルチ方向のやりとり、つまり、「情報持ち寄り勝手連」的なサイトです。先ごろ、この欄で言った「デジタル・クチコミ」がそれに当たります。そこからは、専門家を自称する「プロ」が作る「本格的なつくり物」に疑いの目を注ぎ、素人が「ホラ、こんなの」と言って持ち寄る、表現としては下手くそだけれどもホンモノである情報が好まれていることが見えてきます。

 

ユーザーはホンモノらしくでっち上げられたものに飽きて、ホンモノそのものを求め始めている、と言えないでしょうか。これは日常性のある媒体である新聞、テレビなどの世界の話。映画に目を転じると、おとぎ話の世界では想像を絶する壮大な作り話がユーザーの拍手喝采を受けていることが分ります。ユーザーは、ウソならはっきりとそれと分る大ウソにしてね、と言っているのです。一般マスコミの編集者、制作者の受難の時代はどこまで続くのでしょうか。

海難

木曜日, 3月 18th, 2010

 灘と名のつく海域が幾つかあります。今年の始めは冬の玄界灘で漁船の遭難が相次ぎました。東シナ海で操業した帰りと思われる底引き網漁船が、網を下ろしているわけでもないのに横波を受けていきなり沈んだりしています。大寒波が来ると、風と波でよほど操船の難しい海域なのでしょう。

 

若いころ、遠州灘のあたりで海水浴をしようと思って海岸沿いに車を走らせたことがありますが、どこまで行っても遊泳禁止地区でびっくりしたことを思い出します。地図で見ると泳ぐのに格好の地形のように見えるのですが、きっと離岸流とかいう危険な海流が海岸近くに来ているのでしょう。それで思い出すのは、ジョン万次郎とか音吉という江戸時代の船乗りが、このあたりから遠くアメリカ海岸まで漂流したことです。結果として彼らはアメリカ文化を日本に持ち込むことになるのですが。

 

そう言えば銚子沖も海難事故の多いところです。銚子漁港の近くに、海を見はるかす塚があり、「千人塚」と言って数多くの遭難者の霊を祀っています。北と南から砂浜が海にせり出した独特の地形で、嵐でもないのに三角波が立ち、いきなり船が真っ逆さまに沈んでしまうようなことがあるらしい。話に聞くバミューダの魔の海域みたいなものでしょう。その北は鹿島灘へと続きますが、ここも離岸流で、海岸線はほとんど遊泳禁止です。鹿島灘の北の端が漁港として有名な大洗、那珂湊。そこに至る長~い砂浜は不毛の海岸だったけれども、最近ではハマグリの養殖が盛んになっています。

マスコミ文化からデジタル・クチコミ文化へ

金曜日, 3月 12th, 2010

テレビ、新聞などマスコミの地盤沈下と、それとは裏腹にデジタルおよびインターネット情報技術を使ったニューメディアの隆盛がいちじるしい。これまで社会に君臨していたマスコミ各社も独自のウェブサイトの構築などで、旧来型とニューメディアとの相乗効果を作りだそうと躍起になっているが、成功例は皆無と言って良い。どうもこれまでの動向を概観すると、世界はCGMを通じてデジタル・クチコミ文化へと驀進しているように見える。

 

このまま世の中がデジタル・クチコミ社会へと突き進んでゆくと、世界はどう変化して行くのだろうか。まず考えられるのは、国境、民族を越えた巨大クチコミ文化圏の形成である。クチコミ文化が政治的国境と関係なく、世界を分割・統合しようとしているのである。最大のクチコミ文化圏は言うまでもなく英語圏。スペイン語、アラビア語など使用人口の多い言語文化圏が、それぞれ次第に国境を越えたまとまりを見せてゆくのではなかろうか。

 

これまでは、アメリカの文化とカナダのそれとの間に融合現象はあっても、同じ英語圏であるオーストラリアやインドとの文化融合はあまり存在しなかった。それぞれの国に民族資本によるローカルなマスコミがあって、文化の独自性を守ってきたのがその一つの理由と考えられる。デジタル・クチコミ社会ではこの垣根は取り払われてしまう。インドも、恐らくは中国も英語デジタル・クチコミ文化圏に取り込まれ、人口的な要素を超えて経済発展に拍車を掛けることになるのではなかろうか。同様に経済衰退サイクルに入ったかに見えるアメリカも、カナダ、オーストラリアを始めインド、中国を含む英語圏を取り込んで、巨大文化圏のリーダーとしてもう一度経済発展のチャンスを窺うものと思われる。

 

翻って我が国はどうか。ドイツ、イタリアと並んで独立の弱小ローカル文化圏を形成し、アメリカ・インディアンやニュージーランドのマオリ族のような希少文化を形成してゆくのではなかろうか。ほとんどの人が達者な英語を使うドイツはまだ良いが、我が国の場合はかなりの困難に直面しそうである。日本語はプログラミングに向かない言語であるとばかりでなく、国境を越えたクチコミ文化を形成することが出来ず、国際化する巨大井戸端文明からも置いてきぼりを喰らいそうな予感がしてならない。

 

ところで、デジタル・クチコミ社会の別の側面を垣間見る思いがするのが最近の物価下落である。物価下落の原因としては、供給力が需要を上回っている、新しい流通形態の市場参入による価格競争の激化、公正取引に関する法整備で業界の談合的体質が維持できない、などいろいろな条件が重なっていると思われるが、一つの大きな要素として考えなければならないのが、マスコミ社会からクチコミ社会への移行である。

 

これまでの社会では、マスコミがそのコンテンツを通じて、また広告を通じてメーカー企業の欲する販売価格維持の方向に影響を及ぼしてきた。ところが最近では、消費者のデジタル・クチコミが価格決定要素として大きな力を発揮していることを無視してはなるまい。それはカカクコムなどの直接的価格比較メディアだけではない。ネット上の巨大井戸端会議の場と化したウェブサイトは、消費者側に立った廉価情報をじゃんじゃん流しつつある。自社に有利な情報操作の道具立てとして、非価格競争のツールとして、新しいメディアを使用する方法を模索してきたメーカー企業は、すっかり当てがはずれ、その活用方法に悩んでいるというのが偽らざるところであろう。