もともと広告は、半ば不信の眼で見られているのがふつうです。同じマスコミでも、報道コンテンツなら信頼されるけれども、広告メッセージだと「話半分」に聞かれると思ってよいでしょう。広告を出す側もそのことを念頭に、どうすればクレディビリティーをもって見てもらえるかを考えながら広告づくりをするのが、当たり前になっています。
それが平時の心構えとすれば、いまは非常時の認識が必要になっているのではないでしょうか。身近な食べ物の話題だけでも、ミートホープ事件、中国製ギョーザ、鰻の産地詐称、汚染米、客の食べ残しをふたたび他の客に出す一流料亭、賞味期限切れの材料を使いまわす有名菓子銘柄。大企業の行状でも、これでもかと報じられる脱税、談合、詐欺事件。これらが消費者の企業にたいする信頼感を低下させているのは、まちがいありません。
これまで、企業の内向きの論理で覆い隠されてきたものが、社員の意識の変化で内部告発されるようになったこと、そして内部告発がネット上でかんたんにできることが、つぎつぎに報道される企業不祥事の原因の一つかと思われます。そうだとすると、まだまだこれから隠された不祥事が発掘されることが予想されます。それは企業一般にたいする消費者のイメージをこれまで以上に悪化させるでしょう。
このような状況では、経営環境の悪化からくる企業のリストラも不祥事件と同一視される可能性があります。赤字経営のもとでは、人員削減を考えるのはグローバルスタンダード、世界の常識です。むしろそこに社会的セーフティーネットを作っておかないのは、政府、政権党、行政の責任だと思います。その怠慢のせいで、企業が槍玉に挙げられる傾向があります。
マスメディアも長いあいだ、社会的に信頼性の高い存在でしたが、そのイメージも低下しつつあります。コンテンツの質の劣化もさることながら、企業市民として、あまり社会的に尊敬されない種類の広告主が、経済環境が悪くなるたびにテレビ画面に目立ってふえています。一昔前はサラ金でしたが、いまはパチンコ屋さん。だからテレビにスポット広告をうつと、自社のCMがパチンコのCMに隣接して放映されることが多くなる。イメージ的にはパチンコ屋さんと同列になるといっても過言ではありません。
信頼性ならまかしてください、といわんばかりのステータスを誇示してきた新聞も、イメージ低下では負けてはいません。テレビだけにまかせてはおけない、とばかりに紙面を荒らしています。通販広告、旅行会社のパッケージツアーのごちゃごちゃした広告、やはりごちゃごちゃでは人後に落ちない量販電気店の広告などが紙面を賑わしており、以前のおっとりした美しい紙面とは打って変わった趣きになってきました。もっとも、新聞広告はリテールの広告媒体としてよく機能するので、本来の使われ方が増えてきたと言えなくもありません。
以前は、広告の目的に「企業またはブランドのイメージを向上させる」ということを掲げることがしばしばありました。最近のように広告を取り巻く環境が悪化すると、イメージ向上の目的をもってマス媒体に広告を出すことははばかられる時代になったのかも知れません。広告メッセージの中に提案や主張を盛り込むと、メッセージの信頼性を問われる。だから、そういう正統的な広告を避けて、ただ単に面白がってもらう、エンターテインすることで近親感をもってもらうことに徹する、そういう広告が世の中に増えているようにも見えます。いたちごっこで、それがますます広告の信頼性を損なうことにならなければ良いのですが。