年末は帰省し、大晦日に楽しく痛飲していたのですが。。。
お正月。義母にレシピについて質問したところ、答えてくれるのですが、なんだか変な顔。「どうしたのかな?」と思いつつ、教えてもらって満足していると、隣からオットが、
「それ、昨日も訊いてたよ。写真まで撮ってたよ。」
ええーーーーーーー!そ、それって、飲んでいるとき!?
「飲む前だよ。」
飲んで記憶をなくすことは多々ありましたが、飲む前の記憶をなくしたのは初めてです。
恐るべし、お酒。
皆様、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
昨年より行って頂いている広告勉強会。
昨年の勉強会にて「店頭におけるコミュニケーションツール」を洗い出しました。
仕事の経験がまだ浅い私は、よく仕事と運動を比較して考えることがあります。
困難に遭遇した場合、この問題の本質は何で、運動ではどのように解決してきたか考えるのです。
仕事をしていても、運動をしていても、勉強をしていても、
いつも物事の共通項の多さに驚いております。
店頭におけるコミュニケーションを仕事相手とのコミュニケーションに置き換えてみるとどうでしょうか
【パッケージング】・・・服装や髪形、表情や話し方
【チラシ】・・・手紙
【プロモーション】・・・企画書
【広告】・・・仕事相手の知り合いからの紹介
【グッズ(べた付け)】・・・接待
などなど、まだまだ未熟な私は、仕事がうまくいかない時、
普段運動に置き換え考えていますが
せっかく学んだ色々な知識をもっともっと活かせるように
今年も精一杯考えていきたいなと思います。
実家からの投稿でした。
新年明けましておめでとうございます。
どのようなお正月をお迎えになっていますでしょうか?
昔、米造りの名人がにこんな事を言っていました。
「俺は名人なんかじゃないよ。米だってまだ50回しか作った事がないんだ。」
「できの良い年もあるし悪い年もある。おてんとう様次第だよ。」
この謙虚な姿勢が良い作物を生み出すのでしょうね。
ほとんどの農作物は一年に一回の収穫です。
前年が豊作だろうと、凶作だろうと年が変われば又一から始めなくてはなりません。
時間のリセットは出来ませんが、正月を祝うのは、農耕民族にとって「さあ今年もがんばるぞ」と皆で気持ちを再起動する事なのです。
今年の収穫を目指して本年もよろしくお願い申し上げます。
子供の頃から、幾度も死にかかりましたが、ふしぎに永らえて今日があります。年末、とくその感慨を禁じえません。2年前の秋の夕暮れ、がんセンターのベッドで白い天井を見ながら、情報技術について考えるともなく思いをこらしていたら、次のような想念が白い天井からはらはらと降ってきました。以下その「はらはら」から。
こんにちほどIT(情報技術)という言葉がひんぱんに使われる時代は、これまでにありませんでした。それほどデジタル化された情報の創作、加工、伝達、保存などの技術は、画期的なものとしてもてはやされています。とくにインターネットが一般に普及するにつれて、ITがこれからの人類文明を大きく変えるだろうと予想する人が多くを占めるにいたっています。
しかし考えてみると、人類文明の発祥じたいが、例外なく農業を中心とする生産技術ばかりでなく、情報技術の発達によって起こったことは間違いないところです。音声で事実や意思を伝達する話しことばから、文字をつかって保存のきくメディアに記録することが可能になったことで、文明は飛躍的な発達を遂げたのではないでしょうか。穀物をはじめとする財を交換・流通させたり、税として取り立てたりするのに情報の記録はなくてはならないもので、そのために文字を粘土板や木の板などに記録したことが分かっています。これすなわちIT、つまり情報技術でなくて何でしょうか。
続いて起こったIT革命はパピルス、羊皮紙などの記録媒体で、それらはやがて中国で生まれた紙がとって代わりました。これもIT革命と呼ぶにふさわしいイノベーションだったはずです。紙を記録媒体として使うことは今日まで続いていますが、最初は墨やインクで手書きされ、もう一部欲しいときは手で書き写されていたことも、みんなよく知っていることです。手書きの文書は、ものすごい手間がかかることから当然貴重品であり、聖書や経典、国の掟などに用いられることがほとんどでした。そして、このようにして知識・情報を囲い込む者が権力を独占しました。中世ヨーロッパの教会やそれとギブアンドテイクの関係にあった王家がそれです。
続いて起こるIT革命は印刷術の発明。これで中世の権力構造がこわれた、と言ってよいのではないでしょうか。宗教革命と封建制の崩壊です。インターネットが情報民主化第二段とすれば、印刷術の発明がその第一弾であることに、疑いの余地はありません。これこそがフランス革命やアメリカ独立の原因となり、新聞・雑誌というマスコミの発達とあいまって、その後の世界史に民主主義の広がりをはじめとする世界史の激変の引き金を引いたと言えます。近代社会をかたち作った原因として産業革命を思い浮かべる人が多いでしょうが、私は情報革命が先で、そのほうがより大きな原因を作ったと思います。
つぎのIT革命は、いわずと知れたラジオ・テレビです。技術的には無線通信なんでしょうが、その利用は放送という形をとりました。新聞・雑誌ですでに道がつくられていたマスコミとして、しかもこれら印刷媒体よりも到達範囲が広く、なおかつエンタメ性の大きなメディアとして登場したのです。そしてこれら放送媒体のもう一つの特徴は、到達・伝播を物理的に制限しにくいことです。放送電波と飛行機が国境をこえて飛びかい、人類の国際化をすすめました。多くの独裁国家が他国からの電波の浸透をストップしようとしましたがうまく行かず、結果は自由主義・民主主義の広がりとなりました。ベルリンの壁、ルーマニアの政権交代、ハンガリー動乱なども、テレビ電波をはじめとする西側からの「情報」の影響が大きかったのではないでしょうか。
戦後まもなくのトランジスタの発明がデジタル元年とすれば、続く1960年代のインターネットの実用化は今日のIT革命の礎を築いたものと言えましょう。オンリーイエスタデー!50年そこそこでここまで来てしまった。デジタル情報革命のスピードには驚かされます。マスコミに携わる人も、数年前までは情報産業などともっともらしい言葉を使う人は少なく、先端産業というより、むしろ「実業」に対する「虚業」として、「まっとうな人たち」から蔑まれていたことを思うと、今昔の感ひとしおです。
今身の回りで購入したもののうちTV広告が購入の同機になっているものがいくつあるだろうか?
自分場合は、ほとんどTV広告が購買のきっかけになっているものがない。
では何が購入の同機になっていたのか。
電化製品など耐久消費財も食品、家庭用品など低関与の商品も概ね店頭で、その購入を決定している。
趣味のTVゲームのハードやソフトなどは、TVで広告が流れる前からその存在は知っていたし
携帯電話などは、webでそのスペックなど見られるしTVよりも情報は早い。
また、これは一般的にも言われいる事だが、そもそもTV自体を見る時間が、以前に比べ短くなっているのは確かで、自分生活の中のエンターテインメントのうちのTVの地位がここ数年で急激に下がってしまっている。
たまに見てみても、まったく面白くない。
どの時間もどの局も似たような出演者による似たようなバラエティー番組ばかり。笑えない。
な、ものですぐに消してしまう。我が家のTVはゲームの為のモニターとして活躍している。
必ず見ている番組は朝晩のニュースくらい。
今、中学3年の我娘に聞いても同意見だったところをみると自分の感受性が下がった事だけが理由ではなさそうだ。
一説では、吉本興業が東京進出が東京のTVをダメにしたとの事だが、、、それだけではないとも思う。
自分が子供の頃TVは確かに面白かった、が、それ以上に時間があった。ダラダラとTVを見ている時間が。。。
そのダラダラと見ている心理状況にTVの広告が目に刺さっててきていた。
TVでその商品の存在やキャンペーンを知り購買意欲を駆られたものだったのだが。
webは便利だし、自分も今ではTVよりもwebに接している時間が圧倒的に長い。
ただし、webは机に座ってきちんとした姿勢で、能動的に脳を機能させないといけない。正直疲れる。
TVのように寝転がりながらダラダラとは見られない。
TVにはTVの良さがあるし、BOSSのおっしゃるとおり、「実況性」では未だにTVが優位だ。
今の低視聴率レベルでの「似たようなバラエティー番組」による数字の奪い合いから、脱却しないと更に視聴者は遠ざかると思う。これで、報道番組までバラエティ化したら救いようがないと個人的には思う。
そんなTVの広告に今だに多額のコストが費やされている。
だれもが効果が下がったとわかっていながら。慣例として。
但しここ直近の経済状況の大波の中、慣例とも言っていられない状況になってきた。
これからの広告費はTVからどこに向うのか。少なくともTV以外のものへと向わざるをえないのではないだろうか?
ここ1年半は前社での残務整理と生活の糧の為の仕事で毎日が目が回るような忙しさでした。前社の最後の1年も仕事の量と種類が多すぎで既にプライオリティ付けが不能になっていましたが、やめて残務している今も時間プレッシャーがきつくて同じような状況です。
このような状況になった主たる理由は自分にあって、それは揺るぎない事実です。でもそれをいくら考えても結果を元に戻すことはできないし、淡々と自分の時間の中で解決して行くしかないんですよね。
子育てしてから感じている「人間はいつから大人になるのか?」と同じような類いの話で「いつから全うな社会人、全うな人間になるのか?」ということに関しては、全うな人間なんぞには一生かかってもなれない人がほとんどのような気もしています。人間だれしも欠点があって、社会の中で動けば揺らぎが生じてしまうのです。そこで痛い目にあったり傷ついたりでいろいろ学習するんでしょう。
そんな自分のマイナスをいくら考えてもその時に頭で考えた対処方法はみつかるでしょうが、次の社会で行動すると次の問題が必ず出てくると思います。マイナスを考えて修正をすることも大事ですが、自分の良いところを考えてそれをのばすことを考えるべきなんだと強く思います。
マイナスの部分は問題の顕在化で理解しやすいですが、プラス部分はとても分りづらく、時には誰にもわからないまま日々うまく行っていることもあるでしょう。なぜならうまく行ってるんですから。
自分のプラスを見つける為には家族、仕事での友人との会話が必要だと思います。その為には仕事や家のことをやるときに常に相手のことを考えて行動する必要があるような気がします。行動の全ての基本を相手のことを考える、というように初期化して考えるようにすれば、失敗した後でもなんとなく人生はうまく修正されていくような気がしています。
by hdknr.com
今、MFJの納会中です。皆ビール飲んで酔っ払っています(私も♪)
一年もあっという間に終わってしまいました(*_*)
今年はグループ編成があり、担当する業務も増え色々と大変でした…が勉強になった一年間でした。
来年は、今年学んだことを活かしつつ更にスムーズに仕事をこなせるような年にしたいです。。
皆さんはどんな一年間だったでしょうか。
明日からの連休で今年一年間を振り返り、新年の目標をたててみてはいかがでしょうか。
では皆さん、良いお年を。。。
沖縄に来ました。
今まで何度も沖縄には来ていますが、沖縄通のdeep君のおかげでどんどん深い沖縄を知り、中毒にかかりつつあります。
沖縄に来て多くの人が感じるののは豊かな自然環境ですね。
目には見えないですが、もう一つ大きな魅力が、人の魅力です。
以前hdknrさんの記事であった「花のない生活」の話の花の優先順位が明らかに高い人が多い事に驚きます。
近年、都会から田舎へ移住して田舎で暮らす人が増えています。
沖縄も移住者の人気が高く、毎年多くの人が夢や希望を胸に移住して来ています。でもその反面移住に挫折して沖縄を後にしている人の数も相当数いるそうです。
その原因は最も魅力的に感じるはずの人間関係が都会のものとは違い濃厚な為になかなか入り込めない事のようです。
自分が受ける人々の暖かいもてなし等も観光で来ている時は受けるだけ済みますが、そこで生活をすると受け手だけでは済まなくなります。自分も能動的に行動しなくてはなりません。
人間関係に時には煩わしくなることも多いのも事実だと思います。
都合の良い部分だけを受け入れて、自分に不都合な部分は拒否していては関係は成り立ちませんね。
でも入り込んだ先にはもっと素敵な田舎の生活が待っています。それは日本の多くの田舎には共通している事と思います。多くの人が集まって出来た都会の価値観が正しくて田舎の価値観が古いなんて事はないのです。むしろ田舎には長年にわたって熟成されたシステムがあると思うのですが。
インターネットも検索エンジンも無い時代、雑誌の世界に君臨していたたいへん儲かるビジネスモデルがありました。婦人誌といわれるジャンルで、「主婦の友」、「婦人倶楽部」、「主婦と生活」、「婦人生活」と、表紙を取り除くと分からなくなるような雑誌が4誌もあって、それぞれが主な地域地盤をもって棲み分けていました。シーズンごとに年末は「大掃除のコツ」などといって毎年、同じ時期に同じような家事についての記事を少しずつ模様替えして提供する。編集部は前年、前々年のアーカイブを参考にすれば大した苦労なしに大部分のコンテンツを提供できるわけです。読者のほうで世代交代してくれるから同じような内容を繰り返し提供しても大丈夫なんです。テレビが発達するまでは、これら主婦向けの雑誌が家庭向け商品の広告の受け皿になっていました。
アメリカでは、19世紀終わりから20世紀はじめに農業主体の経済から工業化経済へと変化を遂げました。そして農業社会のコミュニティーを離脱した「孤独な群集」が発生したのです。都会で生活する労働者やホワイトカラーの核家族が増え、主婦雑誌はその専業主婦のニーズを満たすために生まれました。「レディーズ・ホーム・ジャーナル」や「グッドハウスキーピング」が世界最大の発行部数を誇る雑誌として成長したわけです。そしてこれらの主婦向け雑誌が育んだのが石けん、歯みがき、プロセスチーズなど全国ブランドのパッケージ商品であり、さらにはそれらの商品の広告を雑誌に掲載する広告代理店だったわけです。
いま、テレビ、新聞、雑誌、いずれもインターネットの影響を受けていますが、中でも雑誌は大変です。なにしろ経営基盤、営業基盤が弱いので、収支償わなくなるとすぐ「長らくご愛読ありがとうございました」となる。多くの新聞・雑誌がネット上にサイトを設けるのですが、それがかえって本誌の休廃刊を早めている面もあるように見受けられます。
「あなたはこの時間にこのバラエティー番組を見るべきです」「あなたはこの時代この情報アソートに興味がある筈です」とマスコミ側は編成・編集されたお仕着せコンテンツを提供しようとする。それが過去100年以上成功してきたのですから。消費者の側は「私はこういう情報が欲しいのです」とウェブで検索して、そのとき、その場で必要な情報、興味のある情報を自分で選ぼうとする。このせめぎあいは当分続くでしょう。そして結局は情報検索エンジンという道具を手にした消費者に分がありそうです。お仕着せが成功する分野は、テレビにおけるスポーツ実況とか、新聞・雑誌における経済分野とか、限られたジャンルなんでしょうね。
iPhoneアプリの無料TOPを走り続けている産経新聞。
iPhoneで、当日の朝刊が、紙面のレイアウトのまま読むことができるという優れもの。最初に紙面をダウンロードするので、地下鉄でも読むことができるんです。
以前、USENのサービスで、産経新聞をネットで読んでいましたが、いつしか読まなくなったのは、有料になったときか、家でPCに向かって読むのがおっくうになったのか・・・
久しぶりに読む新聞は、新鮮で面白い!他の新聞も追随して欲しいものです。
それにしても、産經新聞。夕刊を廃止したのも、産經新聞ですよね。さまざまな試みを行っていて、面白い新聞です。