Archive for 12月, 2008

石川遼君を見に行ってきた

月曜日, 12月 8th, 2008
第45回ゴルフ日本シリーズJTカップ   第45回ゴルフ日本シリーズJTカップ

先週末に東京よみうりカントリークラブで開催された『第45回ゴルフ日本シリーズJTカップ』

前日にテレビで見て
「おお!!近い!遼君を見に行かなくちゃ!」
ということで急遽行ってきました、最終日。ギャラリー数14,000名。さすが遼君すごい人気です。

遼君にくっついて行っても大人数のギャラリーに、見ることができません。

先回りして、他の組を見ながら遼君待ち。近づいてくるギャラリーの波で、寮君の接近がわかります。

遠くから見ても爽やか♪17歳、堂々の貫禄・迫力。美しいスイング。うっとりするドライバーショット。

遠目でも唯一わかる片山晋呉。彼なら小指の爪サイズでもわかります。日本一テンガロンハットが似合う!?男。

密かに探していた、片山晋呉そっくりさん。昨日も応援に来ていました。愛知県蒲郡市在住の白井宏児さん、34歳なんですね。彼を見つけたことが、一番のツボでした。

寒くなるに従い、どんどん安くなるプレー代。私のゴルフシーズンが始まります。

共生

日曜日, 12月 7th, 2008


Gaien/Aoyama/Nogizaka

Originally uploaded by hidelafoglia

毎日の散歩の楽しみのひとつは野良猫にあうことです。

私の住んでる周りの野良猫たちの実態は”外飼い猫”で、実際は近所のおばさんがごはんをあげたりしています。

野良猫の対処に関しては町ごとのルールとかあったりするので私はごはんをあげることは決してしませんが、ごはんをあげているのはおばさんがほとんどだと思います。

おばさんというのはきっと元来から世話付きな性格を持っているから野良猫のことも心配でかまってあげずにいられないのでしょう。猫が嫌いな人がいたりとか、発情期にうるさいとかあったりするので、自腹を切って避妊手術をしてあげる人もいるようです。

猫にごはんをあげるおばさんを考えると、子供のころ青森の田舎の家ににぎり飯をもらいに来る男の人が時々やってくることを思い出します。きっと本州最北端の地に旅行に来た人だったりしたのでは?と今は思いますが、うちのおばあちゃんが大きいにぎり飯を作ってあげていたことを覚えています。もちろんお金などもらっていなかったです。

社会に直接役に立たない野良猫なんて殺してしまえ、という人もいるでしょうが、社会に直接役にたたない人に対してもそう思っているのでしょうか?

訳あってこの世に生まれて社会を構成しているわけで、役に立つとかたたないとかで存在意義を判断することは問題ですよね。「役に立つ度」はなんで計ります?個人のGNPですか?年収がある人ほど役にたっているんでしょうか。

社会に役にたたないと思われる人に対してはおばさんのおせっかいてきなマインドが潤滑油になっているのではないか、と散歩で猫を見るたびに思ったりしています。闘争的な男のマインドだけだったら弱者は淘汰されてしまうような気がします。弱者を淘汰してしまうことは社会の規模を小さくすることで結局は淘汰した本人に影響が訪れるような気がします。

( 補足:そういえば写真右側の三毛猫は後ろの左足が不自由です。たぶん車に惹かれたんだと思います。春ごろは普通に歩いていたような記憶があります。)

by hdknr.com

人間合理的に生きるために

土曜日, 12月 6th, 2008



Autonomous Node Economy (behavior study)

Originally uploaded by Michael Ingrassia

父の世代は経済合理的に生活していくと生活が豊かになっていくことを家族が共感できた時代だった。共感があれば仕事人間であっても結果に対する満足感を感じることができたろうし、つらいときに浮かぶ家族の笑顔で乗り切ることもできたんだと思う。

そんな幸せな時代が20年ほど前に終焉し、現代は経済合理性を最適化して考えれば考えるほど不幸せになっていく時代になっているのではないだろうか、というのが最近思うことです。特に第3次産業に従事されている人々は、自分の経済的インカムをあげようとがんばればがんばるほど、マーケットの中での同業他社との競争が激化するため結局のところ努力の結果はサービスのディスカウントや投資にまわされた結果自己へのリターンは期待したほどでもなく、さらにそのなかでがんばればがんばるほど自分に課せられる仕事がどんどん増えていく、というパターンになっているような気もします。極論ですが。

家族が週末100円回転寿司で夕食をとるのは、家事というものを労働として価値判断し、それだったら2時間分の母の労働時間を外食にまわせば時間が浮くので経済的に合理的である、という考えが潜在的にあるあずだ。いまでもたいていの父親は「家事という労働」を共有している割合は少ないだろう。

でも、家族との食事をそれを計画するところから考えて一緒に作ったものを楽しんで食べるというプ「レジャー」として考えるとその2時間のかつて労働と判断されたものの価値は違った形で家族にリターンされるはずだ。そして100円回転寿司ディナーに投じた同じ金額で製作された食事ははるかに美味なはずである。

人間合理的に生きるということは、武道とか極道とか同じような「道」的なプラクティスが必要なので、何かの本を1冊読むと理解して実践すればすぐに実感として理解できるということではない、ということが難しいところだと思います。子育ての喜びはやってみないとわからないとか、子供を育ててみて初めて自分が成長したと感じる、とかと同じ類の話でですね。

生活スタイルや人生のリスク、プレジャーに関する考え方と体験の仕方が大きく変わってしまい、古くから確立されたしきたりとか慣わしなどの生活の基本動作基準が適応できなくなってきていることが現代の我々の生活に混迷の理由でしょうね。これからの時代を人間合理的に生きるための知識の創造と共有が求められているいると思います。

by hdknr.com

我が子

金曜日, 12月 5th, 2008

我が家には9ヶ月になる息子、伸之介がいます。
生まれる前日、社内のプロジェクトが正式に立ち上がり決起大会ということで
沖縄料理屋で飲んでいました。
泡盛が進み、気付けばお客さん達と輪になって踊る始末。

酔って帰宅し2時間後の朝4時過ぎに妻が破水し、慌てて病院へ。
陣痛室にて彼女が苦しんでいる隣で、軽い二日酔いの僕は
ウトウトしながらも「大丈夫?」と背中をさすっていた記憶があります。

陣痛がピークに達してからは、僕自身何をしていいのか解らなくなって
しまい、励ましの言葉をかけることしかできません。こういう時って本当に
男は無力だと実感します。

9時頃分娩台にあがり先生の回診を待ちましたが、先生も忙しくなかなか
現れない。結局10時過ぎに回診が始まってすぐに我が子が生まれました。
泣き声が聞こえた瞬間に涙が出てしまい、すごく感動的だったことを覚えて
います。

子供の成長は本当に早く、ハイハイを始めたかと思うとあっという間につかまり立ちができるようになりました。子供の笑顔に気持ちが安らぐのですが、唯一つらいのは「夜泣き」です。寝ようかな・・・と思う時に限って泣き始め、おむつを替えると目がランランと輝き布団の上にまたがってきます。朝も私が起きる30分前には既に起きていて、顔をたたかれます。対したことない毎日なのですが、すごく幸せを感じる毎日で仕事のモチベーションもあがる?日々を送ってます。

時間が迫る

木曜日, 12月 4th, 2008


Yatsugatake

Originally uploaded by cteisyoku

すぐそこまで真冬が来ている。

一ヶ月先には山の斜面は真っ白になりこの畑も時々白くなる。
ここ八ヶ岳山麓は内陸の高原地帯であるので冬の寒さは厳しく、北海道並に冷える事もある。
そのため真冬の建築作業は限られてくる。
厳寒期には三時の休憩で暖かいお茶を飲んでしゃべっていると休憩が終わる頃にはお茶が凍っていたり、又、大工がよくやる口に釘をくわえると唇に釘が凍りついたりなんて事もある。
そのため水を使う仕事はほとんど出来ない。
左官屋さんが壁を塗るにも乾く前に凍ってしまうのでダメ。
地面が凍ると岩盤のようになり大型重機を使っても穴を掘る事すら出来ない。
そのため基礎を12月中に終わらせておかないと真冬に仕事がなくなってしまう。
そのため今は冬準備の真っ最中。

どんな仕事にもいろいろな条件がある。
時間、お金、人手、プラン、原材料等々。

どんな仕事もその合間を駆け抜けて行くから楽しいのだ

とおもわなくっちゃね。

( Flickrから投稿。)

どうぞのいす

水曜日, 12月 3rd, 2008

「どうぞのいす」という絵本をご存知でしょうか?

とっても有名なお話らしいのですが、

私は、娘が通う保育園のお楽しみ会での演目をみて、初めて知りました。

物語には、森の動物たちがたくさんでてきます。(思いっきりネタばれです)

一番目はうさぎ、のこぎりやとんかちを使って木でいすを作り、

いすのよこに「どうぞのいす」という看板を立てるところからはじまります。

二番目にろばがやってきて、どんぐりをおいたら、眠くなって寝てしまい・・・

三番目のくまが、看板をみて、どんぐりを食べてしまいます。

かわりに、はちみつをおいていきました。

四番目のきつねがはちみつをなめて、パンをおいて。

五番目のりすがパンを食べると、くりを置いていきます。

ろばが起きると、びっくり仰天!

「どんぐりって、くりの赤ちゃんだったのかな??」

と、とってもかわいくて良いお話。

ところが、舞台裏では、このお話のようにいかなかったようです。

役決めでは、うさぎが大人気。

(一番だから?かわいいから?主役というわけでもないし何故でしょう??)

先生が、「このままではお芝居ができないから、誰か譲ってあげて!」といって、

ようやく譲り合って、役が決まったそうです。

ちなみに、うちの娘の役は、うさぎでした・・・。

上手にできたので、それはそれでたくさん褒めたあとに、

「今度はちがう役にも挑戦すれば?お友達に譲ってあげられるところも見てみたいな~。」と言ってみました。

娘、しばらく考えたあと、「じゃぁ、ロバの役がいいな~。」

こちらの悩みとは裏腹に、能天気な娘でした。

次回は、誰かに何かを譲ってあげられるかな??

社会人になって自分をとりまく方々から学ばせてもらうこと多しですが、

子どもが生まれてからは、日々の子育てから学ぶことも多い母です。

「今日ははやくむかえに来てね」といわれたので、このへんで!!

車の両輪

火曜日, 12月 2nd, 2008

大量生産、大量消費の戦後社会を、テレビとスーパーマーケットという二つの装置が車の両輪のように支えてきたことは、議論の余地の無いところでしょう。自動車などは別として、スーパーの業界でグロサリーと呼ばれるパッケージ加工食品の場合、まさにそういうことが言えます。大手の食品メーカーでは、営業部がスーパーマーケットに営業し、宣伝部がテレビ局と付き合うという構図で発展してきたわけです。

 

スーパーの棚換えのある春と秋に向けて次々に新製品を発売し、それらの知名度を短期間のうちに一定水準に引き上げるという戦術が可能になりました。知名度マーケティングとでも言うべき、テレビ以前には考えられなかった手法です。テレビCM視聴何回で知名度(≒親近感)が生まれ、知名度何%を超えるとその新製品の試用率が急速に上がるというような経験則が明らかになり、新製品の設計に誤りが無ければ、かなり確実に売れる方程式が確立したと言えます。江戸時代の川柳のように独自の発達を遂げた15秒CMは、知名度が上がれば他に何も要らない、という広告思想をも発達させました。

 

ところが最近、この構図に変化の兆しが見られるのではないか、というのは私の僻目でしょうか。どうもテレビCMの効率が落ちているらしい。そりゃあそうでしょう。じっくり見たいドラマや映画は録画しておいて後でCMをカットして鑑賞する。流行のバラエティー番組は特に座って見るわけではないが、例えば部屋の賑わし環境装置、社会の窓として点けっぱなしにしておくというようなテレビの見方が一般的になると、CMのインパクトは落ちて来ざるを得ないでしょう。人々のテレビとの付き合い方は大いに変化してきたと言うほかありません。同じようにディスプレイ装置を見ていても、インターネットやゲームと付き合う時間が増えてくれば、テレビを見る時間は減らざるを得ないという事情もあるでしょうね。

 

ここで当然起きてくるだろうことはマーケティング戦術の見直しです。すでにテレビ全盛の時代に或る食品メーカーが採っていた戦略は、60%の知名度を獲得するのにテレビで30%、店頭で30%を目指していたと言われます。テレビのパワーが落ちてきたら、このメーカーさんはどうなさるのでしょうか。おそらく1%の知名度を獲得するためのコスト効率の良いほうに比重が掛かるのでしょう。そして、さらに推測に推測を重ねれば、店頭活動に掛けるメーカーの予算は必然的に上昇せざるを得ず、スーパー店頭は販促的視点ばかりでなく、広告媒体的視点からも見直されるのではないでしょうか。

 

現代消費社会の車の両輪、ショーの第二幕はこれから始まるというわけです。

温故知新!?

月曜日, 12月 1st, 2008

昨日、社会人一年生のときのインストラクWeddingCakeターの披露宴に行ってきました。

私より3つ上の先輩です。

全く学生気分が抜けておらず、ついつい「登校」「下校」と言ってしまうような、お気楽な新人が入ったのですから、相当苦労されたと思います。(今だから、そのように思いますが。。。)

スケジュールの立て方から、お客様とのミーティング(心得十ヶ条を作ってくださったのを、今、思い出しました。)、はたまた交換日記まで。

新人のときに配属されたチームが「新しいお客様に・新しい技術で・新しいシステムを構築する」という前のめりなチームで、残業もマックス。労働組合で、毎回、問題になるチームでした。個性派ぞろいで、衝突もありましたが、その分結束も固く、チーム解散後15年目に、披露宴で再結集したのでした。

昨日の新郎新婦は、そのときのチーム内。一年前に再会して、交際スタート、ということですが、はてさて。。。

さて、披露宴。司会は当時のチームのメンバーです。

やはり話題は、二人が出会い、一緒に仕事をした、当時の話へ。「過酷な労働」という単語が連呼です。

チームリーダーがスピーチするまでに、「過酷な労働」が9回連呼され、チームリーダー思わず、「ボクが一番タイヘンでした!」と叫んでいました。

このときに教えて頂いたこと、今でもときどき思い出します。社会人生活の中でも、基本になること、役に立つことを教えて頂きました。

インストラクターのインストラクターと、インストラクターと3人で写真を撮ったり、楽しい披露宴を過ごしました。

披露宴、っていいものですね。

いつまでもお幸せに♪