Archive for the ‘未分類’ Category

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木曜日, 12月 11th, 2008


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Originally uploaded by cteisyoku

午後、原宿表参道に行きました。
クリスマス前だし天気も良いし人が多いんだろうなあとと想像しながら向かいました。
ところが予想に反して人がすごく少ない感じです。
平日でも人は多い所なのに。

この数ヶ月でテレビや新聞の報道で100年に一度の金融危機~世界同時不況~景気後退~リストラ等と不景気のイメージが頭の中に多く入り込んでいる。
今日人が少ないのを見て
「不景気だからか?」
と直結してしまうのも頭の中の不況イメージからか。
好景気イメージがあれば人が少ないのをどう思うのだろう?
この不景気イメージをもって行動するのは良くないのではないか。
スーパーの方と昨日話を伺ったところ、景気悪化で外食は減り、内食が増えてはいる。
しかし購買傾向としては明らかに無駄買いが減っているとの事でした。
袋に何個か入っている商品も少ない物から売れていくとの事。

景気の状況は理解しつつも良いイメージを持って仕事をしないとどんどん悪くなってしまう気がする。
下を向いていると背中が丸まってきて下しか見なくなる。。
上をみずとも前を向いて来年へ向けて進まなくてはね。

こんなテレビが欲しいな

木曜日, 12月 11th, 2008

サイドテーブルの上にあるコードレスのマウスで、画面上のウィンドウをクリックするとテレビのチャンネル選択のほか、インターネットのサイトが見られる。NHKのアーカイブなど見たいときに見られる。新聞のネット版も読める。一つの番組を見ながら、サブ画面でもう一つの番組またはウェブサイトをチェックできる。番組表を画面に呼び出して録画予約録画も自由自在。

 

さらに、携帯電話などのキーボードからインターネットのブラウザーのキーワード検索ができる。実はこの検索機能こそがエンタメを含めて、これからの情報接触のキーポイントなんですね。今のテレビも新聞・雑誌もここんところが外れているから、どんどん時代から取り残されようとしているわけです。そして検索サービスをめぐるグーグルとマイクロソフトの熾烈な戦いをよそ事のように報道していらっしゃる。民放の「やめろ、やめろ」の大合唱をよそに強引に過去番組アーカイブを始めようとしているNHKだけは、事の重大性に気づいているのでしょう。

 

ところで、こんなテレビ(パソテレ?)を発売するのはエレクトロニクス・メーカーにはいとも簡単な筈です。パソコンのモニターにテレビチューナーが付いた30インチぐらいの情報端末/フラットディスプレーですから。出てこないところを見ると、誰かがブレーキを踏んでいるんでしょうか。放送業界や担当省庁から「作るな」と言われるのか、エレクトロニクス業界が放送業界に遠慮して自己規制しているのか、パソはテレビと別の商品として売りたい、ということか、はたまた計画的小出し陳腐化作戦で少しずつ新機軸を出して、何回も買い替えさせようという魂胆か。

 

何回も買い替えさせるといえば、マスコミのこれまでのコンテンツ作りの手法は自社の編集部/編成部だけが過去コンテンツのアーカイブを利用できる仕組みの上に構成されていました。以前の作品の化粧を変えたり、複数の作品のコンセプトを合成したりして新しいコンテンツとして発売し、斬新なイメージをまとった使い捨てコンテンツを提供してきた面があります。そうやって繁栄してきたマスコミ業界がインターネット時代の大衆検索文化到来で苦労しているのが実態ではないかと思います。この問題は巨大です。「検索が要るなら電子辞書を買えば?」などと言っていると取り返しがつかなくなる恐れがあります。

思いやりの心を失ってしまった日本人

火曜日, 12月 9th, 2008

1996年に日本青少年研究所が、世界各国の高校生に行った、「親に対する気持ち」の調査結果です。

※中国、アメリカ、日本を中心とした、世界各国の高校生それぞれ1000名をサンプリング。

 

Q.将来、あなたの両親が高齢になって、健康をひどく損なう、あるいは年老いてしまって、 だれかの手助けなしには生きていくことが出来なくなったということを想像してください。 その上で、質問に答えてください。

 そのとき、あなたはどんなことをしても、自分の親を助けようと思いますか?

 

 中国の高校生 YES 66% NO 34%(ちょうど、3人に2人くらいがYES)

 米国の高校生 YES 46% NO 54%(ちょうど、半々くらいですね) 

 では、日本の高校生はというと・・・??

 

 日本の高校生 YES 16% NO 84%(はい、5人に1人しか親の面倒をみたくないのです。)

 

わが国の、親を思う気持ちが、世界のどの国の高校生に比べてもダントツの最低だったそうです。

 

さらに、もうひとつ。

 

Q.将来、あなたが親の面倒をみましょう、助けましょうといったら、あなたの親は喜ぶと思いますか?

に対する回答。

 

アメリカと中国の高校生の答えは一致しました。

70%の高校生が、両親は大喜びすると答えました。

 

 

日本の高校生は、30%だったそうです。

あとの70%は、自分が面倒を見るといっても、親は大喜びするとは思っていないのです。 

 

 

この内容は、ベストセラーの育児本「続・子どもへのまなざし」(児童精神化医 佐々木正美著)で

とりあげられていました。

 

著者は、こうも書いています。

現代の日本の親子関係は、このような形になってしまった。

調査結果を見る限り、現代の若者たちには、親を思う気持ちがすでに失われてしまったのかもしれない。

「現代の日本人の多くが、つぎの世代を産み育てるための意欲を、世界でもっとも失ってしまったということ」が少子化につながっていると考える。

現代の大人をふくめ(ここ大事ですよね)、自分のことばかりが大切で、でもそういう生き方では、結局自分も大切に出来ない。

そのことをどうやって伝えていくかが、今とても大切なこと、と。

ほぼ誰もママ友達がいない場所に引越して、ワーキングマザー生活をスタートさせたのが4年前。

4年間で、友達と呼ばせてもらえそうな人は実にたくさん増え、何度助けられたかわかりません。

この本も、3人の育児をしながら自営業をしている逞しいママ友からの紹介。

子育てで迷ったときなど折に触れて読んで癒されてます。

もしかしたら、育児だけでなく人間関係に疲れたときに読んでも癒されるかもしれません。

 

思いやりの心、ビジネスでもとっても重要なことだと、私は考えています。

ではどうやって身につくのかというと、日々、思いやりのお手本に接すること。

また、まわりの人に「嫉妬」や「羨望」の気持ちをむけるのではなく、

まわりへの「感謝」や「尊敬」の気持ちからはぐくまれるのだそうです。

石川遼君を見に行ってきた

月曜日, 12月 8th, 2008
第45回ゴルフ日本シリーズJTカップ   第45回ゴルフ日本シリーズJTカップ

先週末に東京よみうりカントリークラブで開催された『第45回ゴルフ日本シリーズJTカップ』

前日にテレビで見て
「おお!!近い!遼君を見に行かなくちゃ!」
ということで急遽行ってきました、最終日。ギャラリー数14,000名。さすが遼君すごい人気です。

遼君にくっついて行っても大人数のギャラリーに、見ることができません。

先回りして、他の組を見ながら遼君待ち。近づいてくるギャラリーの波で、寮君の接近がわかります。

遠くから見ても爽やか♪17歳、堂々の貫禄・迫力。美しいスイング。うっとりするドライバーショット。

遠目でも唯一わかる片山晋呉。彼なら小指の爪サイズでもわかります。日本一テンガロンハットが似合う!?男。

密かに探していた、片山晋呉そっくりさん。昨日も応援に来ていました。愛知県蒲郡市在住の白井宏児さん、34歳なんですね。彼を見つけたことが、一番のツボでした。

寒くなるに従い、どんどん安くなるプレー代。私のゴルフシーズンが始まります。

共生

日曜日, 12月 7th, 2008


Gaien/Aoyama/Nogizaka

Originally uploaded by hidelafoglia

毎日の散歩の楽しみのひとつは野良猫にあうことです。

私の住んでる周りの野良猫たちの実態は”外飼い猫”で、実際は近所のおばさんがごはんをあげたりしています。

野良猫の対処に関しては町ごとのルールとかあったりするので私はごはんをあげることは決してしませんが、ごはんをあげているのはおばさんがほとんどだと思います。

おばさんというのはきっと元来から世話付きな性格を持っているから野良猫のことも心配でかまってあげずにいられないのでしょう。猫が嫌いな人がいたりとか、発情期にうるさいとかあったりするので、自腹を切って避妊手術をしてあげる人もいるようです。

猫にごはんをあげるおばさんを考えると、子供のころ青森の田舎の家ににぎり飯をもらいに来る男の人が時々やってくることを思い出します。きっと本州最北端の地に旅行に来た人だったりしたのでは?と今は思いますが、うちのおばあちゃんが大きいにぎり飯を作ってあげていたことを覚えています。もちろんお金などもらっていなかったです。

社会に直接役に立たない野良猫なんて殺してしまえ、という人もいるでしょうが、社会に直接役にたたない人に対してもそう思っているのでしょうか?

訳あってこの世に生まれて社会を構成しているわけで、役に立つとかたたないとかで存在意義を判断することは問題ですよね。「役に立つ度」はなんで計ります?個人のGNPですか?年収がある人ほど役にたっているんでしょうか。

社会に役にたたないと思われる人に対してはおばさんのおせっかいてきなマインドが潤滑油になっているのではないか、と散歩で猫を見るたびに思ったりしています。闘争的な男のマインドだけだったら弱者は淘汰されてしまうような気がします。弱者を淘汰してしまうことは社会の規模を小さくすることで結局は淘汰した本人に影響が訪れるような気がします。

( 補足:そういえば写真右側の三毛猫は後ろの左足が不自由です。たぶん車に惹かれたんだと思います。春ごろは普通に歩いていたような記憶があります。)

by hdknr.com

人間合理的に生きるために

土曜日, 12月 6th, 2008



Autonomous Node Economy (behavior study)

Originally uploaded by Michael Ingrassia

父の世代は経済合理的に生活していくと生活が豊かになっていくことを家族が共感できた時代だった。共感があれば仕事人間であっても結果に対する満足感を感じることができたろうし、つらいときに浮かぶ家族の笑顔で乗り切ることもできたんだと思う。

そんな幸せな時代が20年ほど前に終焉し、現代は経済合理性を最適化して考えれば考えるほど不幸せになっていく時代になっているのではないだろうか、というのが最近思うことです。特に第3次産業に従事されている人々は、自分の経済的インカムをあげようとがんばればがんばるほど、マーケットの中での同業他社との競争が激化するため結局のところ努力の結果はサービスのディスカウントや投資にまわされた結果自己へのリターンは期待したほどでもなく、さらにそのなかでがんばればがんばるほど自分に課せられる仕事がどんどん増えていく、というパターンになっているような気もします。極論ですが。

家族が週末100円回転寿司で夕食をとるのは、家事というものを労働として価値判断し、それだったら2時間分の母の労働時間を外食にまわせば時間が浮くので経済的に合理的である、という考えが潜在的にあるあずだ。いまでもたいていの父親は「家事という労働」を共有している割合は少ないだろう。

でも、家族との食事をそれを計画するところから考えて一緒に作ったものを楽しんで食べるというプ「レジャー」として考えるとその2時間のかつて労働と判断されたものの価値は違った形で家族にリターンされるはずだ。そして100円回転寿司ディナーに投じた同じ金額で製作された食事ははるかに美味なはずである。

人間合理的に生きるということは、武道とか極道とか同じような「道」的なプラクティスが必要なので、何かの本を1冊読むと理解して実践すればすぐに実感として理解できるということではない、ということが難しいところだと思います。子育ての喜びはやってみないとわからないとか、子供を育ててみて初めて自分が成長したと感じる、とかと同じ類の話でですね。

生活スタイルや人生のリスク、プレジャーに関する考え方と体験の仕方が大きく変わってしまい、古くから確立されたしきたりとか慣わしなどの生活の基本動作基準が適応できなくなってきていることが現代の我々の生活に混迷の理由でしょうね。これからの時代を人間合理的に生きるための知識の創造と共有が求められているいると思います。

by hdknr.com

我が子

金曜日, 12月 5th, 2008

我が家には9ヶ月になる息子、伸之介がいます。
生まれる前日、社内のプロジェクトが正式に立ち上がり決起大会ということで
沖縄料理屋で飲んでいました。
泡盛が進み、気付けばお客さん達と輪になって踊る始末。

酔って帰宅し2時間後の朝4時過ぎに妻が破水し、慌てて病院へ。
陣痛室にて彼女が苦しんでいる隣で、軽い二日酔いの僕は
ウトウトしながらも「大丈夫?」と背中をさすっていた記憶があります。

陣痛がピークに達してからは、僕自身何をしていいのか解らなくなって
しまい、励ましの言葉をかけることしかできません。こういう時って本当に
男は無力だと実感します。

9時頃分娩台にあがり先生の回診を待ちましたが、先生も忙しくなかなか
現れない。結局10時過ぎに回診が始まってすぐに我が子が生まれました。
泣き声が聞こえた瞬間に涙が出てしまい、すごく感動的だったことを覚えて
います。

子供の成長は本当に早く、ハイハイを始めたかと思うとあっという間につかまり立ちができるようになりました。子供の笑顔に気持ちが安らぐのですが、唯一つらいのは「夜泣き」です。寝ようかな・・・と思う時に限って泣き始め、おむつを替えると目がランランと輝き布団の上にまたがってきます。朝も私が起きる30分前には既に起きていて、顔をたたかれます。対したことない毎日なのですが、すごく幸せを感じる毎日で仕事のモチベーションもあがる?日々を送ってます。

時間が迫る

木曜日, 12月 4th, 2008


Yatsugatake

Originally uploaded by cteisyoku

すぐそこまで真冬が来ている。

一ヶ月先には山の斜面は真っ白になりこの畑も時々白くなる。
ここ八ヶ岳山麓は内陸の高原地帯であるので冬の寒さは厳しく、北海道並に冷える事もある。
そのため真冬の建築作業は限られてくる。
厳寒期には三時の休憩で暖かいお茶を飲んでしゃべっていると休憩が終わる頃にはお茶が凍っていたり、又、大工がよくやる口に釘をくわえると唇に釘が凍りついたりなんて事もある。
そのため水を使う仕事はほとんど出来ない。
左官屋さんが壁を塗るにも乾く前に凍ってしまうのでダメ。
地面が凍ると岩盤のようになり大型重機を使っても穴を掘る事すら出来ない。
そのため基礎を12月中に終わらせておかないと真冬に仕事がなくなってしまう。
そのため今は冬準備の真っ最中。

どんな仕事にもいろいろな条件がある。
時間、お金、人手、プラン、原材料等々。

どんな仕事もその合間を駆け抜けて行くから楽しいのだ

とおもわなくっちゃね。

( Flickrから投稿。)

どうぞのいす

水曜日, 12月 3rd, 2008

「どうぞのいす」という絵本をご存知でしょうか?

とっても有名なお話らしいのですが、

私は、娘が通う保育園のお楽しみ会での演目をみて、初めて知りました。

物語には、森の動物たちがたくさんでてきます。(思いっきりネタばれです)

一番目はうさぎ、のこぎりやとんかちを使って木でいすを作り、

いすのよこに「どうぞのいす」という看板を立てるところからはじまります。

二番目にろばがやってきて、どんぐりをおいたら、眠くなって寝てしまい・・・

三番目のくまが、看板をみて、どんぐりを食べてしまいます。

かわりに、はちみつをおいていきました。

四番目のきつねがはちみつをなめて、パンをおいて。

五番目のりすがパンを食べると、くりを置いていきます。

ろばが起きると、びっくり仰天!

「どんぐりって、くりの赤ちゃんだったのかな??」

と、とってもかわいくて良いお話。

ところが、舞台裏では、このお話のようにいかなかったようです。

役決めでは、うさぎが大人気。

(一番だから?かわいいから?主役というわけでもないし何故でしょう??)

先生が、「このままではお芝居ができないから、誰か譲ってあげて!」といって、

ようやく譲り合って、役が決まったそうです。

ちなみに、うちの娘の役は、うさぎでした・・・。

上手にできたので、それはそれでたくさん褒めたあとに、

「今度はちがう役にも挑戦すれば?お友達に譲ってあげられるところも見てみたいな~。」と言ってみました。

娘、しばらく考えたあと、「じゃぁ、ロバの役がいいな~。」

こちらの悩みとは裏腹に、能天気な娘でした。

次回は、誰かに何かを譲ってあげられるかな??

社会人になって自分をとりまく方々から学ばせてもらうこと多しですが、

子どもが生まれてからは、日々の子育てから学ぶことも多い母です。

「今日ははやくむかえに来てね」といわれたので、このへんで!!

車の両輪

火曜日, 12月 2nd, 2008

大量生産、大量消費の戦後社会を、テレビとスーパーマーケットという二つの装置が車の両輪のように支えてきたことは、議論の余地の無いところでしょう。自動車などは別として、スーパーの業界でグロサリーと呼ばれるパッケージ加工食品の場合、まさにそういうことが言えます。大手の食品メーカーでは、営業部がスーパーマーケットに営業し、宣伝部がテレビ局と付き合うという構図で発展してきたわけです。

 

スーパーの棚換えのある春と秋に向けて次々に新製品を発売し、それらの知名度を短期間のうちに一定水準に引き上げるという戦術が可能になりました。知名度マーケティングとでも言うべき、テレビ以前には考えられなかった手法です。テレビCM視聴何回で知名度(≒親近感)が生まれ、知名度何%を超えるとその新製品の試用率が急速に上がるというような経験則が明らかになり、新製品の設計に誤りが無ければ、かなり確実に売れる方程式が確立したと言えます。江戸時代の川柳のように独自の発達を遂げた15秒CMは、知名度が上がれば他に何も要らない、という広告思想をも発達させました。

 

ところが最近、この構図に変化の兆しが見られるのではないか、というのは私の僻目でしょうか。どうもテレビCMの効率が落ちているらしい。そりゃあそうでしょう。じっくり見たいドラマや映画は録画しておいて後でCMをカットして鑑賞する。流行のバラエティー番組は特に座って見るわけではないが、例えば部屋の賑わし環境装置、社会の窓として点けっぱなしにしておくというようなテレビの見方が一般的になると、CMのインパクトは落ちて来ざるを得ないでしょう。人々のテレビとの付き合い方は大いに変化してきたと言うほかありません。同じようにディスプレイ装置を見ていても、インターネットやゲームと付き合う時間が増えてくれば、テレビを見る時間は減らざるを得ないという事情もあるでしょうね。

 

ここで当然起きてくるだろうことはマーケティング戦術の見直しです。すでにテレビ全盛の時代に或る食品メーカーが採っていた戦略は、60%の知名度を獲得するのにテレビで30%、店頭で30%を目指していたと言われます。テレビのパワーが落ちてきたら、このメーカーさんはどうなさるのでしょうか。おそらく1%の知名度を獲得するためのコスト効率の良いほうに比重が掛かるのでしょう。そして、さらに推測に推測を重ねれば、店頭活動に掛けるメーカーの予算は必然的に上昇せざるを得ず、スーパー店頭は販促的視点ばかりでなく、広告媒体的視点からも見直されるのではないでしょうか。

 

現代消費社会の車の両輪、ショーの第二幕はこれから始まるというわけです。